蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

Trip to Hakodadi (4):沈思の二日目 後篇

前回のおさらい

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コラム ~五稜郭陥落す~

 今回は与太話から始めます。前回の記事で五稜郭を取り上げましたが、五稜郭と言われるたびに私が思い出すのは(もう数十年前のことですが)母の浪人エピソードです。私が幼少の砌から何遍も聞かされてきた話なので、この場を借りて共有(=ブログのネタに)しようと思います。

 私の母は小学校の頃から学校教員になるのが夢で、高校卒業後は教育大学へ進学したいと考えていたそうです。しかし、母は共通一次試験(センター試験の前身)の結果が思わしくなく、北海道出身の母は北海道教育大学札幌校の受験を断念して同大学函館校を第一志望校とすることになりました。母の家庭は所謂「転勤族」で、母自身も高校時代は秋田で過ごしていましたから、受験の際には汽車で秋田から青森まで行き、青函連絡船で函館に渡ったそうです*1

 勿論、当時はインターネットなどありませんから、合格発表は現地での掲示方式になります。しかし、合格発表まで現地に行かなければならないのは流石に不経済ということで、受験生への個別電話連絡というサービスがあったそうです。北海道教育大学函館校の場合、合格なら函館山に日が昇る」、不合格なら五稜郭陥落す」と電話口で告げられることになっていました。なんだか洒落てますよね(ふざけてるともいう)*2。もうオチが見えていると思いますが、合格発表当日に母が耳にしたのは「五稜郭陥落す」というぶっきらぼうな音声だったのでした。国立大学しか受験していなかった母は見事に浪人生となり、一浪の末、東京の私立大学に合格することになるのですが、それはまた別のお話……。

周遊 函館ベイエリア

 さて、気を取り直して函館旅行記の続きを書いていくことにしましょう。11時半過ぎ、五稜郭の桜を堪能した私は、初日から歩き通し・立ちっぱなしで疲れた脚を少しでも癒すため、五稜郭タワー前で観光客を今か今かと待ち構えるタクシーに乗り込み、一旦宿泊先まで戻ることにしました。私が「中央病院前まで」と伝えると、運転手は「中央病院ってあの中央病院ですか!?」と少し驚いた様子。そりゃそうだ、ゴールデンウィークのど真ん中にわざわざ中央病院前で降りる観光客もいないでしょう。

 続けて私が「凄い混雑ですね」と話しかけると、運転手は「例年こんなものです」と冷ややかな対応。タクシーはやや気まずい沈黙の中、道道571号を南下して道道83号に入っていきます。するとどうでしょう、五稜郭周辺の大混雑と大渋滞が嘘のように、目抜き通りはガラガラです。これは函館滞在中にずっと感じていたことなのですが、観光スポットはどこも観光客で大混雑なのに、少し住宅街に入ったり裏路地に入ったりすると、人の気配がまるでなくなるのは不思議です。あれだけの人数がどこに収容されているのでしょうか。湯の川温泉の旅館? 函館駅近郊のホテル? あるいは少し足を伸ばして大沼プリンスホテル? いずれにせよ、中央病院前駅の近郊は函館市電のガタゴトいう音を除いては静かな地区で、三日間あずましく過ごすことができました。

 宣言通り(?)中央病院前でタクシーから降り、宿泊先に辿り着いた私は、ベッドに倒れ込むようにして1時間半ほど仮眠をとりました。仮眠から覚醒し、少しだけ元気を取り戻した感覚を得た私は、再び函館市電に乗り込んで函館港方面へ。二日目の午後、最初の目的地は元町の北側に位置するベイエリアです。

函館ラッキーピエロ ペイエリア本店

 ベイエリア最初の目的地は、知り合いから勧められた「ラッキーピエロ」です。ラッキーピエロご当地バーガー全国第1位に輝いた函館のローカル飲食チェーン店です。ご当地グルメに目がない私としても是非食べておきたい!ということで行ってきました。

 けばけばしい色使いと10年以上前にニコニコ動画で流行った某ピエロより不気味な「ラッキーくん」のマークから禍々しい狂気を感じますが、そんな店頭には長蛇の列。ここでも並ぶ運命からは逃れられないようです。並んでスマホをいじっていると、前に並んでいたタイ人のカップルから「あなた英語できる? あの向かいの駐車場に停めたいんだけど、いくら払えばいいの?」と話しかけられ、何故か有料駐車場の料金体系について説明するハメに。私は東京にいた頃も外国人に道を尋ねられることが多かったのですが、なんでしょう、外国人から見て話しかけやすい雰囲気や顔(?)なのでしょうか。ともあれ函館のような観光地では、なんだかんだ英語が便利なコミュニケーション・ツールであることを痛感させられます(悔しいですが……)。

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 「ラッキーガラナ」と銘打っていますが、中身はただのガラナです。

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 30分ほど店頭に並んで、チャイニーズチキンバーガー特上(税抜440円)を注文すると、店員から「オーダーを受けてから調理しますので、1時間半後にまた来てください」と言われ、この時点で16時頃までお昼抜きが確定ゴールデンウィーク中の函館はメシにありつくのも一苦労です! つらい!

金森赤レンガ倉庫

 店頭のベンチで1時間半待つのもアホらしいので、空腹のままラッキーピエロ本店の近隣をぶらついて時間を潰すことにしました。当初の予定を入れ替えて、金森赤レンガ倉庫をベイエリア最初の目的地に設定しなおします。西波止場を通り過ぎ、函館港を臨むウォーターフロントへ歩みを進めると、並び建つ赤レンガ倉庫群が見えてきました。

 金森赤レンガ倉庫(金森倉庫群)は「明治に建てられた7棟の赤レンガ倉庫をそのまま利用した複合施設の総称」です。広大な敷地は47のショップで賑わうショッピングエリアとして再利用されていますが、数棟はなお現役の営業用倉庫として利用され続けています。この倉庫群を管理・運営するのは金森商船株式会社。金森商船のルーツは、1869年に豊後出身の渡邉熊四郎が函館で創業した「金森洋物店」に遡ります。曲尺に「森」の漢字を合わせたトレードマークは初代(渡邉熊四郎)が考案したもので、創業以来変わらずに受け継がれてきました。現在も倉庫群を訪れる人々を最初に迎えるのは、この独特のトレードマークです。

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 金森洋物店が営業倉庫業を営み始めたのは1887年のことです。1885年2月に三菱財閥総帥の岩崎弥太郎が歿すると、競合関係にあった郵便汽船三菱会社と共同運輸会社(三井財閥など反三菱勢力が共同で出資した船会社)が政府の圧力で合併し、同年9月に日本郵船株式会社(NYK Line)が成立しました。それに伴い、共同運輸会社が利用していた倉庫と土地が不要となったため、かねてより倉庫の必要性を感じていた初代(渡邉熊四郎)は1887年にそれらを買い取り、営業倉庫業を始めたのです。これが金森赤レンガ倉庫の起源となっています。

 1907年8月、金森洋物店の営業倉庫も例に漏れず、函館の大火で6棟が類焼しました。しかし、その後すぐに不燃質素材による再建が始まり、レンガ造りの倉庫が1909年5月に完成、今に至っています。私は運河を眺めながら、今度行く予定の小樽に思いを馳せていました*3。小樽も倉庫街と運河で有名な北の港町ですが、そこにはかつて日本郵船小樽支店も開かれていました。北海道に来て以来、なにかと日本郵船に縁があるなぁ(n=2)と感じています。日本の近代海運業の歴史を辿る旅というのも面白いかもしれません。

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 さて、ウィンドウ・ショッピングをしたり、式場から出てきた新郎新婦を眺めたり、広場で奏でられる音楽に耳を傾けたりしながら時が過ぎるのを待っていたのですが、ここで問題が発生。函館に出発する前に巻き爪気味の足の爪を切り忘れていたため、歩き過ぎで足の親指が痛くなってしまったのです。一刻も早く爪を切らなければならない……。そう思って近隣のドラッグストアをスマホで検索すると、金森赤レンガ倉庫の一角にドラッグストアが入っていることが判明しました。ウィンドウ・ショッピングにとどめるつもりが、結局サッポロドラッグストアー(!)で爪切りを購入するハメに。その後、倉庫の裏路地に座り込んで靴下を脱ぎ、側溝の上で爪を切ったのですが、通行人から不審者のような視線を向けられ、悲しかったです。みんな、旅行に行く前にはきちんと爪を切ろうな!

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ご対面 チャイニーズチキンバーガー

 色々とハプニングはありましたが、時計の針はそろそろ16時を指しそうです。お腹ペコペコで再びラッキーピエロへ向かうと、なぜか呼び出されている引換証の番号が私の番号よりも大きいではありませんか。慌てて店員に引換証を提示すると、どうやら注文から1時間ほどで出来上がっていた模様……。1時間半と言ったのはそっちじゃないか! なにはともあれ、もう待ちきれません。ベイエリアの喧騒を離れて食事を摂るべく、チャイニーズチキンバーガー(テイクアウト)と共に人工島・緑の島を目指します。

 緑の島とベイエリアを結ぶ橋から臨む函館港。

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 緑の島に隣接したヨットハーバー。中学生か高校生の5人組(男3人、女2人)が痴話喧嘩(?)をしていたのが印象的でした。

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 緑の島のベンチに腰掛け、芝生でサッカーをしている若者やひたすら自転車を漕いでいる幼い姉妹を眺めながら、チャイニーズチキンバーガー特上を頬張ります。分厚いバンズと大きなチキンに濃厚な甘辛のタレとチーズ。ガツンと来る美味しさが空腹にはたまりません。潮風に吹かれ、函館山を臨みながらのチャイニーズチキンバーガー体験は僅か数分で終わってしまいましたが、筆舌に尽くし難い感動がありました。美味しいものを食べてこその人生なのです……!

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 なお、市電・十字街駅への帰りがけに新島襄 海外渡航の地碑も見てきました。当時の国禁を犯してアメリカ合衆国に渡った新島も、昨今の世相においては「反日」「売国奴」扱いされるのかな、などと思いました。

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立待岬

 かなり遅めのお昼を済ませると、少し寒くなってきたので、谷地頭温泉で温まってから宿泊先へ戻ることにしました。函館市電には函館どつく前行き(5系統)と谷地頭温泉行き(2系統)の二つがあり、十字街駅で行き先が分岐します*4。本日の最終目的地は谷地頭温泉なので、乗車するのは2系統。市電・十字街駅から函館市電2系統に乗り込み、終点の谷地頭温泉駅へ向かいます。

 函館市電を降りると、このまま谷地頭温泉に直行するのも芸がないなと思い始めました。寄り道したがるのは私の悪い癖です。せっかくなので、対岸の青森県下北半島を臨む可能性に賭けて、最果ての立待岬を目指します。

 立待岬までの道中、住吉町共同墓地を通り過ぎたあたりから臨む函館市街。

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 共同墓地と石川啄木一族の墓を通り過ぎて、駅から歩くこと10分ほど。とうとう函館の最南端・立待岬に到着しました。意外に観光客がいて驚きます。

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 文字通り函館の最南端です。この先に道はありません。

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 南西方向、水平線にうっすらと見えるのが下北半島です。五稜郭タワーからも下北半島を見ることはできましたが、立待岬からはいっそう鮮明に確認できました。写真だとぼんやりとしか写っていませんが、肉眼では対岸の町並みや航行する船もはっきりと視認できます。この日は奇遇にも、大学時代の友人が下北半島を旅行していたので、私は彼のことを思い浮かべながら、遠いような近いような津軽海峡の向こう側を見つめていたのでした。

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 南東方向に見えるのは津軽半島です。いつか機会があれば、今度は青森県側から北海道を眺めたいところ(まだ青森県は未踏なのですが)。

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 立待岬の強風に吹かれてすっかり冷え切った身体を温めるべく、早足で谷地頭温泉へ。谷地頭温泉の土色のあつゆ(43℃)に浸かり、身体の芯までしっかり温まった私は、心地よい疲労感の中で二日目の思い出を反芻したのでした。

 三日目に続きます。

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Appendix

 末広町にある日本最古のコンクリート電柱。脇の看板に「マ○コ」「チ○コ」「クリ○リス」などと落書きがしてあるのが味わい深いですね。

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 大三坂下、函館市電5系統の軌道に面するヱビス商会。「雰囲気いいな」と思って衝動的に撮影しただけなので、詳細についてはよく分かりません。

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関連記事

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gipsypapa.exblog.jp

fkaidofudo.exblog.jp

*1:秋田大学にも教育学部がありましたが、「北海道に戻りたかったのかな」とは母の談。

*2:こうした合格/不合格メッセージは各大学ごとに用意されていたようです。例えば、私の地元の東北大学の場合、合格なら「青葉もゆる」、不合格なら「みちのくの雪深し」と告げられることになっていたとか。

*3:ちなみに、私の母は小学校時代に小樽にも住んでいたことがありましたので、私にとっては、小樽訪問は母の足跡を辿る旅でもあります。

*4:湯の川温泉駅~十字街駅の間はどちらの系統も共通の区間なので、観光客が乗車の際に留意する必要は殆どありません。

Trip to Hakodadi (3):沈思の二日目 前篇

前回のおさらい

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函館朝市 きくよ食堂本店

 2017年5月4日、函館二日目の朝は早い。何故か知りませんが5時前に起きてしまいました。宿泊先最寄り駅の函館市電・中央病院前駅の始発は6:26なので、だいぶ時間があります。ベッドでゴロゴロしながら前日に撮影した写真を整理したり、今日行く予定のスポットを確認したりしていたら、なんと始発に乗り遅れるというマイペースぶりを早速発揮してしまいました。結局6:42谷地頭行きの市電で函館朝市へ遅ればせながら出発です。

 今日は前日の反省を活かし、市電1日乗車券を600円で運転手さんから購入。函館市電は初乗り運賃が大人210円なので、1日の間に3回以上市電を利用する場合は1日乗車券を購入した方がお得になります。ちなみに市電・バス共通乗車券(1日乗車券1,000円、2日乗車券1,700円)もありますが、函館の中心街を観光で廻るだけなら路線バスはまず利用しませんので、こちらは買わなくていいと思います。少なくとも私は函館に3日間滞在して一度も路線バスには乗りませんでした。こちらの「市電1日乗車券と市電・バス共通1日券とどちらがお得?」という記事でも、市電1日乗車券の方が選ばれています。

 さて、そうこうしているうちに市電・函館駅前駅に到着しました。函館朝市函館駅前駅から徒歩5分ほどの立地にあります。早朝5時から開店しているお店もあるため、朝から大混雑です。そんな中、私が二日目の朝食に選んだのは、きくよ食堂本店の 「元祖函館 巴丼」(税別1,680円)です*1。入店までの待機時間は30分ほどだったので、前日の函館山頂1時間下山待機に比べれば余裕でした。

 いくら、ほたて、うにのトリコロールが美しいです。いただきます!

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 感想としては(うに以外は)「普通」でした……。自分がそこまでいくらに燃えない人間だったのが原因ですね。巴丼のいくらは少し衝撃を加えた程度ではつぶれないので新鮮なのだろうとは思いますが、うん、おいしい!と即答できませんでした。正確には、いくらを食べ慣れていないのでこれが美味しいのかどうか判断できませんでした(不味くなかったのは確実)。無難なメニューを選んだ結果、あまり函館感のない(?)海鮮丼体験となってしまいました。なんか、いくら大好きな人に怒られそうですが、もう少し高級ないくら丼を食べたら認識も改まるのでしょうか。単に好みの問題だとすれば、自分の嗜好を把握できていなかった私が悪いということになりますね……。この反省をもとに、私は翌日から自分の好きなネタを攻めることになります。乞うご期待!

桜が丘通の桜並木

 海鮮丼で腹ごなしをして一旦宿泊先へ帰投すると、ベッドメイキングをしている女将さんと鉢合わせました。世間話をしているうちに、女将さんから「今日はどちらへ行かれるんですか?」と訊かれたので、五稜郭の桜を観に行く予定だと伝えると、「桜なら、近所に桜のトンネルがあるんですよ。とても綺麗なので五稜郭に向かう途中に是非観てください!」と元気よく勧められました。地元の人間の勧めには素直に従うのが吉。ちょっと寄り道をして、桜が丘通の桜並木へ赴くことにしました。

 桜が丘通は柏木町から松陰町を経て人見町に至る約800mの通りで、通りの両側に植えられたソメイソシノが「桜トンネル」を形作る函館の桜の名所です(知らなかった……)。抜けるような青空と桜トンネルの相性がここまでいいとは! 桜トンネルの美しさが整備された人工の美であることは疑いありませんが、今日の桜並木の生命力は計画段階での想定を凌駕していると思います。きっかけを与えたのは人間でも、輝いているのは桜そのものではないでしょうか。ともあれゴールデンウィーク中、天候に恵まれたのは本当に幸いでした。宿泊先の女将さんからは「Rasielさんの普段の行いがいいからですね」と言われましたが、こういう調子のいいやりとり、嫌いじゃないです。

 以下、しばし桜トンネルの写真をお楽しみください。

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 なお、宿泊先の女将さんが言うには、桜が丘通の近隣住民は約100本のソメイヨシノが一斉に散った後、花びらの掃除で大変らしいですが、気ままな観光客の私は同情することしかできません。そもそも地元民の女将さんですら、住んでいる区画が違えば他人事なのですから、私が無関係なのも当然と言わなければなりません(我ながらひどい結論だ……)。無関係の皆さんも是非、桜のシーズンに函館を訪れた際には、桜トンネルをくぐってみてください。

満開 五稜郭公園

 桜が丘通の桜並木で既にお腹いっぱい感ありますが、今日の最初の目的地はあくまで五稜郭です。普通であれば市電・五稜郭公園前駅の方から歩いてくるか、道道571号線や道道83号線を車で通ってくるか、どちらかのルートで五稜郭を目指すのでしょうが、桜が丘通に寄り道をした私はそのまま閑静な住宅街を通り抜けて北へ進みました。住宅街は殆ど人が歩いていませんでしたが、ときわ通に出た瞬間に車の大渋滞と群衆が目に入ってきてゲンナリ。ゴールデンウィーク中の函館で混雑を避けるのが至難の業だと少しずつ悟り始めた私なのでした……。

 まずは、公園の敷地内を横切って五稜郭タワーへ向かいます。

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 今年の五稜郭公園の桜は5月1日に満開を迎えたため、私が訪れた5月4日には既に葉桜が目立ち始めていました。五稜郭タワー2階(無料フロア)の窓ガラスから眺めると、一部葉桜になっている様子がよく分かります。それゆえ、「満開 五稜郭公園」という見出しはタイトル詐欺臭いのですが、「葉桜 五稜郭公園」というのもしっくりこないので、ご寛恕いただければと思います。

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五稜郭タワー 展望台

 さあ、いよいよ五稜郭タワーの展望室に上るぞ、チケット売場はどこだろう……と探していると、目に飛び込んできたのは「待ち時間40分」の文字が書かれたプラカード。ヲタク特有のムーヴで躊躇なく最後尾に並び、ツイッターを開きます。チケットを買うまでに40分、展望台へ上るエレベータに乗り込むまでに10~15分。スマホのバッテリー残量こそガンガン減りましたが、暖房のきいた室内待機だったこともあって特に苦痛もなく待機時間を過ごすことができました。

 エレベータに乗り込む前にスタッフからチケットを切られましたが、なんとパンチ穴が星型でした。五稜郭感が出てきましたね。それにしても「一般☆大人」と、その位置に穴を開けられると、なんだかキャピキャピした印象を受けます。

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 地上90mの展望台から臨む五稜郭。大正時代以来、外縁部に植えられた約1,600本の桜が咲き乱れ、薄桃色の輪郭を形作っています。

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 五稜郭ヨーロッパの城郭都市をモデルに築造された星型の城郭であり*2、その直径は約500m,堀の周囲は約1.8km,史跡指定範囲の面積は約251,000㎡(東京ドーム5個分)にもなります。突出した「稜堡」を有する星型城郭は守備側の銃の死角をなくし、敵側に十字砲火を浴びせることも可能にするという考え抜かれたデザインであり、「五角形」と評するのは適切ではありません。

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(上図はhttp://stelo.sakura.ne.jp/paorep/usuda-tatsuoka.htmより引用)

 五稜郭は1857年7月に着工し、1864年4月の完成まで約7年を費やして築造されました。正面出入口の前面に突出した「半月堡」は、当初の計画では他の稜堡の間にも設置される予定でしたが、幕府財政の逼迫や工期短縮の必要性から一箇所のみの設置となりました。

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 以下、五稜郭タワー展望台からの眺望を紹介していきます。

 西側、清水山方面。函館空港トラピスチヌ修道院もこちら側です。

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 南側、津軽海峡方面。この日は天候に恵まれ、青森県下北半島を見渡すことができました。水平線にうっすらと見えるのが下北半島です。

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 南西側、函館山方面。中心市街や函館港もこちら側です。五稜郭が港湾からだいぶ内陸側に築造されたことが分かります。

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 南側のパノラマ写真です。結合部が微妙に歪んでいますが、左手に下北半島、右手に函館山を見渡すことができます。函館の人間は「津軽海峡を隔てた本州の方ばかり見ている」という言説が実感を伴って思い出されました。函館はほぼ本州と言っても過言ではないでしょう*3

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 東側、函館湾方面。函館湾対岸の上磯や鏡山を見渡すことができます。

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特別史跡 五稜郭跡 ~榎本武揚 再考~

 展望台から地上に下りて、五稜郭の敷地内も歩いてみました。東京ドーム5個分の敷地外縁部に咲き乱れる桜は圧巻の一言につきます。一部が葉桜になる前の文字通りの「満開」のタイミングに来られれば、より色鮮やかな輪郭の五稜郭を楽しめたはずなので、この点で函館市民が少々羨ましくなります。

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 星型城郭は線対称かつ点対称の図形なので、五稜郭敷地内を巡り歩いていると現在位置が分からなくなります。Google Mapがなかったら危うく迷子になるところでした。ひとまず中心部の箱館御役所(2010年再建)まで引き返すことで出口の方向が分かりやすくなると思うので、迷っても焦らず行動しましょう!

 さて、いまや完全に桜の名所として定着している五稜郭ですが、ここが本邦最後の内戦となった戊辰戦争の最終局面、箱館戦争における旧幕府脱走軍の本拠地であったことを忘れてはなりません。そして、是非覚えておいていただきたいのが、旧幕府脱走軍(通称「蝦夷共和国」)の総裁を務めた、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚という人物です*4

 五稜郭タワーでは、1階にも展望台にも土方歳三の像が設置されており、観光客の記念撮影スポットと化していました。この光景を目の当たりにして、私は五稜郭タワーってやっぱり土方歳三推しなのかな」と思いましたが、実際はどうなのでしょう。また、榎本と土方では圧倒的に後者のほうが知名度も人気も上なのでしょうか。私は世代的にNHK大河ドラマ新選組!』(2004年)ドンピシャなので、土方というと山本耕史のイメージが強いのですが、土方は(沖田総司と違って)実物もハンサムで、旧幕府軍箱館まで連れ添って討ち死にするという義人ぶりからか、世間的には高い人気を誇っていると個人的には感じています。

 こうした世間の評価を否定するわけではありませんが、土方は新撰組「鬼の副長」を務め上げた後、旧幕府脱走軍においては陸軍奉行並・箱館市中取締などを務めるにとどまっており、軍隊の士気を維持するのに一役買ったとはいえ、政治的な影響力はさほど大きくなかったのではないでしょうか。どうも私は、土方を英雄視する向きには「脱政治化」傾向、つまり「現場プロフェッショナル」ロマンティシズムを感じてしまいます。

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 このように、土方がいわば「現場」の指揮官に過ぎなかったのに対して、榎本は旧幕府脱走軍の最高司令官でありました。榎本は幕末にオランダへ留学し、造船や国際法を学んで帰国したという筋金入りのエリートです。榎本の知見は蝦夷地上陸の際や箱館占領後にも遺憾なく発揮されました。まず、旧幕府脱走軍が鷲ノ木海岸を上陸地に選んだのは、既に国際港湾都市として開港されており、各国領事館が建ち並ぶ箱館での戦闘を回避するという外交上の配慮からだったと考えられています*5。次に、旧幕府脱走軍は箱館占領後まもなく各国領事と会談し、各国との貿易を継続することを確認したほか、蝦夷地開拓の嘆願書を新政府へ取り次いでもらうなど、自身の地位を確立すべく尽力しました*6。こうした動きの背景には、榎本がオランダで培った国際法の知識や国際感覚があったとされます。さらに、旧幕府脱走軍が五稜郭入場後に新政府軍の俘虜や傷病兵に手厚い対応を取ったことも*7、榎本の支持によるのかもしれません。以上より、榎本が五稜郭箱館戦争を語る上で外せないキー・パースンであることは疑い得ません。

 しかし、話はここで終わりません。結局1869年5月、新政府軍の反撃によって箱館が奪回されると、旧幕府脱走軍総裁の榎本は新政府軍に屈服、東京で投獄されますが、その後助命され新政府に与することになるからです。ここで、五稜郭タワーの売店で販売されている公式パンフレットの記述を見てみましょう。

 明治2年(1869)5月17日、榎本武揚と副総裁松平太郎は新政府軍の陣地に出向き、降伏を申入れました。翌18日早朝、榎本ら脱走軍幹部4名は、五稜郭内に整列した兵士達の苦労をねぎらい、彼らの見送りを受けて新政府軍の軍門に出頭。残る将兵箱館へ護送され市内の寺院などへ収容されました。

 旧幕府脱走軍で約800名、明治新政府軍では約300名の尊い犠牲者を出して、半年間にわたる箱館五稜郭をめぐる動乱は全て終結しました。徳川家臣団による蝦夷地開拓の夢はここに潰え去り、多くの人々の命と引換えに近代日本の基礎が造られていくのです。

 榎本ら旧幕府脱走軍の幹部は東京へ送られ投獄されましたが、明治5年(1872)には赦されて、その多くが北海道開拓使への出仕を命じられました。中でも榎本武揚は、開拓使を皮切りに明治政府の要職を歴任し、大臣としても活躍することになります。

 彼らは、明治政府が新しい国づくりを進めていく上でも、是非とも必要な才能であったのです。新しい時代を夢みながら明治維新の動乱で亡くなった多くの人々の志を受け継いで、日本の発展に力を尽くしていったのでしょう*8

  このように公式パンフレットは榎本の「転身」を美談としてまとめていますが、私は高校生の時分からずっと彼の「転身」について割り切れない感情を抱いてきましたので、パンフレットの筆致には疑問があります。榎本は1875年には千島・樺太交換条約締結の特命全権大使を務めるまでに出世しており、旧幕府脱走軍の総裁として新政府軍に徹底抗戦していたとは思えない豹変ぶりで驚きます*9。そして、この樺太放棄論の主唱者こそ、箱館戦争で新政府軍の総指揮を執り、榎本に降伏を求めた黒田清隆なのですから、榎本が完全に黒田率いる開拓使の方針に忠実であることがよく分かります。

 私は函館の運命は榎本が黒田に屈服した時点で決したのだと思います。黒田が開拓次官(のち長官)に就任したことに鑑みれば、五稜郭の陥落とは、函館という歴史ある国際港湾都市が札幌という新政府肝煎りの新興都市の支配下に置かれたことに他なりません。現在も大通公園に黒田やケプロンの像が建っているように、札幌自身も「従属的」地位を脱却できていないわけですが*10函館はその札幌に支配される「従属の従属」という位置に構造化されたと言わざるを得ません。前回の記事で述べた函館の「観光都市化」の端緒は、榎本の屈服および「転身」だったと考えられるのではないでしょうか。「函館市人口減少 負の循環」という現状に歯止めがかかるのか、今後も注視していく必要があります(具体的な改善策を提示しない丸投げエンド)。

 後篇に続きます。

Appendix

 五稜郭タワー公式イメージキャラクター「GO太くん」。私がSwarmで五稜郭タワーにチェックインしたらすぐさまリプライを飛ばしてきましたが、@gota_kunへのメンションに対して自動返信する仕様なのでしょうか。いずれにせよ、節操のない馴れ馴れしい運営については、私はエゴサして突撃してくるアカウント並みに嫌いなので、若干ながら五稜郭タワーへの好感度が下がりました。ひっそりと楽しませてほしい。そんな面倒な人間が一名、ここにおります。

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*1:実際には、丘珠空港に置いてあった『ハコダテコモド』のクーポン券のおかげで5%引きで食べられました。空港や観光案内所に置いてある冊子にはクーポンやお得情報がついていることもあるので、見逃せないと改めてか実感しました。

*2:五稜郭の構造については「日本の城訪問記」の記事に詳しいので、こちらも併せてご覧ください。

*3:早朝に函館朝市で耳にしたアクセントも東北地方の港町のそれに似ていました。ここでは宮城県石巻のアクセントを想定しています。

*4:榎本武揚の名前が「常識」扱いされているのか少々不安になったので、このような筆致をとりました。

*5:五稜郭歴史回廊ガイド Vol.2 五稜郭激動篇』五稜郭タワー株式会社、2011年、5頁。

*6:同書、12頁。

*7:同書、6頁。

*8:同書、23頁。

*9:なお、福沢諭吉『瘠我慢の説』で榎本の政治的態度を厳しく批判しています。

*10:札幌(ひいては北海道)の従属性については、こちらの過去記事をご覧ください。

Trip to Hakodadi (2):翻弄の初日 後篇

前回のおさらい

 本連載を最初から読みたい方は以下のリンクからどうぞ。

rasiel9713.hatenablog.com

箱館 異国情緒 ~元町教会群を中心に~

 函館は急坂の多い街です。元々は島だった函館山砂州の形成によって渡島半島の陸繋島となったのが約5,000年前*1。それ以来、津軽海峡に向かって標高が高くなっていく独特の地形が函館の特徴となりました。そして、函館湾に面する海抜1~2mの目抜き通りから函館山の頂上へ向かう急坂の途中に、異国情調あふれる建造物が集中しているのです。

 箱館*2日米和親条約(1854年)に基づいて下田と共に開港された港湾都市です。安政の五カ国条約(1858年)締結後も、箱館は横浜・長崎と並んで自由貿易港に指定されました。こうして、箱館にはアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの各国船舶が停泊することになりましたが、それに伴い、急坂の途中にある元町は領事館や教会が乱立する地区として発展を遂げることになりました。今回は元町教会群を中心に、国際港湾都市箱館/函館の昔を辿っていきます。それでは、前置きはこのくらいにして、出発しましょう。

日本基督教団函館協会

 十字街駅に着くと、既に17:30を回っていました。5月の函館の日没時間は18:50と聞いていたので、函館山の頂上から薄暮の夜景を撮影するという目的を果たすためには、元町を1時間ちょっとで回らなければなりません。なかなかのタイト・スケジュールです。

 函館市地域交流まちづくりセンターを通り過ぎ、二十軒坂を少し上って、一本目の路地を右に入ると見えてくるのが、日本基督教団函館教会です。

  日本基督教団函館教会は1874年にアメリカ・メソジスト監督教会の宣教師、メリマン・コルバート・ハリス(Merriman Colbert Harris, 1846-1921)によって創立された、日本で3番目に古いプロテスタント教会です。実はクラークの要請を受けて、1878年札幌農学校内村鑑三新渡戸稲造に洗礼を授けたのもハリスですし、アメリカ留学中の松岡洋右をキリスト信仰へと導いたのも彼です。また、ハリスは函館滞在中はアメリカ合衆国領事も兼ねていましたので、外交史・知識人史上も重要な結節点であるように思われますが、この点に関する詳細な検討は本旅行記の趣旨からは外れるため行いません。

 なお、現在の会堂は1931年に再建されたもので、北海道帝国大学農学部本館や理学部本館を設計した萩原惇正の手になるものです。北海道大学も新緑の季節に訪れようと考えています。既に友人に構内を案内してもらう約束を取り付けているので、こちらも今から楽しみです。

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 八幡坂の上から臨む函館港。映画やCMなどのロケ地として有名のようですが、常識に疎いのでピンと来ませんでした……。

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旧イギリス領事館(開港記念館)

 そのまま弁天末広通を西へ歩いていき、基坂をさらに上ると左手に見えてくるのが、旧イギリス領事館です。

 イギリス領事館は箱館が国際貿易港として開港された1859年に設置され、何度か場所の移転を経ながら、1934年に閉鎖されるまで75年間その機能を果たしました。現在の建物は1913年に再建されたものですが、閉鎖までイギリス領事館として利用されていました。

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 旧イギリス領事館は現在、開港記念館として保存管理されており、300円の入場料を払って内見ができます(カフェ、ショップは入場料不要)。

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 イギリス領事館時代の門章。「神と我が法」(Dieu et mon droit)と何故かフランス語で書かれてあります。このイギリス国章を見ていると、Queenのロゴデザインを思い出すのは私だけでしょうか。

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 領事執務室(再現)。3代目領事リチャード・ユースデン(Richard Eusden)の像がいきなり現れるので、人影かと思ってビックリ! この配置に悪意を感じるのは気のせいでしょうか……。

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 家族居室(再現)。ゆっくりと見ている時間がなかったのですが、ユースデン夫人の功績や人柄もパネルで紹介されていました。

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北海道庁函館支庁庁舎

 旧イギリス領事館を後にして、さらに基坂を上っていくと、元町公園に到着します。この公園の敷地内にもいくつか函館の近代を象徴する建造物が残っています。まずは旧北海道庁函館支庁庁舎から見ていきましょう。

 北海道庁函館支庁庁舎は1909年に建てられ、1982年に公園造成と合わせて修復整備されて今に至っています。後述するように、箱館は札幌が開拓使の拠点として発展を遂げる前までは蝦夷地/北海道で最大の都市だったわけですが、箱館戦争五稜郭が陥落してからというもの、札幌を中心とする明治政府の支配構造に組み込まれていきました。このモスグリーンの建造物は、箱館戦争敗戦の記憶を引き継ぐモニュメントであるとも言えるかもしれません。また、現在この建造物は1階部分が元町観光案内所として利用されており、悲しい哉、函館の都市としての衰退(=観光都市化)を明らかにもしています。

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 旧函館支庁庁舎のすぐ隣には、旧開拓使函館支庁書籍庫があります。1880年の建造と推定されているようです。これまで紹介してきた建造物がいずれも火災を原因に再建されたものであることを思えば、類焼を免れて明治初期の姿のままで残っている有形文化財は極めて貴重だと分かります。

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 高台から見た旧函館支庁庁舎。

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旧函館区公会堂

 さて、元町公園からさらにもう一段高台へと上ると、旧函館区公会堂というハイカラな建物が眼前に現れます。

 旧函館区公会堂は函館の豪商・相馬哲平の大口の寄附によって1910年に落成した、左右対称形のコロニアル様式建築です。ブルーグレーとイエローの対照的な色使いも輪郭を際立たせていて美しいです。内部は貴賓室や大広間などがそのまま残されています(入場料300円を払えば内見も可能)。

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f:id:rasiel9713:20170503182031j:plain 2階のテラスから夕映えの函館港を臨み、爽やかな潮風を身に浴びていると、基坂を延々上ってきた疲労感もどこかへ吹き飛びそうな気がします(強がり)。

 なお、この日は貸衣装の燕尾服やドレスを着込んだカップルがテラスで記念撮影をしていました。旧函館区公会堂内の「ハイカラ衣裳館」では、衣裳一着を1,000円/20分間で貸し出しています。ということで、アイドルちゃんは函館でオフ会をやるべきだと思います! または、リリースイベントで円盤を大量に積むとスタッフ同行でデートできるというコースを用意しているアイドルちゃんを推している人は、旧函館区公会堂に連れてくればいいと思います! 背中がガッツリ開いているドレスとかもありますからね!

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遺愛幼稚園

 旧函館区公会堂から函館山ロープウェイ山麓駅へ向かうべく、東の方角へ戻っていく途中で遺愛幼稚園なるハイカラ建築に出逢いました。

  遺愛幼稚園は1895年に遺愛女学校併置の幼稚園として創立され、ここが学校法人遺愛学院発祥の地となりました。学校法人遺愛学院は前述のメソジスト監督教会宣教師ハリスが1874年に付近の子女を集めて開いた日日学校(Day School)を前身としており、現在も函館・杉並町で遺愛女子中学校・高等学校の運営に携わっています。ハリス夫妻の置き土産が今日まで連綿と息づいているという事実に直面すると、伝統とはその上に胡座をかくことのできる盤石のものなどではなく、手から手へと受け継いでいこうとする各世代の努力によって初めて維持されるものだ、という思いを新たにします。

 なお、現在の幼稚園園舎は1907年の大火の後、アメリカの篤志家の寄附によって1913年に再建されたものです。ピンクと白色が採り入れられたスティック・スタイルの建物には、上品さと可愛らしさが同居していると感じました。

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函館ハリストス正教会

 遺愛幼稚園の隣にあるのが、有名な函館ハリストス正教会です。

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 函館ハリストス正教会、正式名称「函館復活聖堂」は1859年に初代ロシア領事館の附属聖堂として建立されました。1861年にニコライがロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任すると、この聖堂が日本に正教を伝道する最初の拠点となりました。東京にニコライ堂(東京復活大聖堂)が建立されたのが1891年であることに鑑みると、箱館の国際港湾都市としての活況がよく分かります。また、現在の聖堂は1916年にロシア風ビザンツ様式で再建されたものです(緑色の銅版屋根は1968年に改装)。

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 なお、「ハリストス」とは「キリスト」のことで、中世ギリシア語のΧριστός(=Christos)または教会スラヴ語のХристос(=Christos)をカタカナに音写したものですが、私はこうした日本正教会独特の表記法には慣れていません。言葉遣い一つで信徒や関係者の心証を悪くするのを避けたいと前々から思っていましたので、滞在二日目に函館ハリストス正教会を再訪し、仙台ハリストス正教会編『新稿 正教の手引き』(再版、1979年)ダヴィ水口優明編著『正教会の手引』(改訂版、2013年)を購入しました。いずれも一般流通はしていない非売品で、信徒向けの内容となっているので、日本正教会の立場を理解するには最適の手引書であると考えられます。まずはこの二冊を読んで勉強します

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カトリック元町教会

 函館ハリストス正教会から大三坂を下ると、カトリック元町教会があります。

 元町教会は1859年にフランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(本名はメルメ=カション; Eugène-Emmanuel Mermet-Cachon, 1828-1889)が仮聖堂を建てたのにはじまり、キリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手教会や長崎の大浦教会と並んで日本最古のカトリック教会の一つです。現在の大聖堂は1924年に落成したものです。

 元町教会についても、滞在二日目に再訪のうえ内部を見学して参りました。内部撮影禁止のため写真はありませんが、キリストの受難を視覚的に理解させる仕掛けが数多く飾られており、豪華絢爛と厳粛が同居する不思議な空間だったことを書き記しておきます*3

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日本聖公会函館聖ヨハネ教会

 函館ハリストス正教会の隣にあるのが、日本聖公会函館聖ヨハネ教会です。

 函館聖ヨハネ教会は、英国聖公会(Church of England)海外伝道教会の宣教師W. デニングが1874年に来函して以来、聖公会の北海道伝道の根拠地となってきました。上空から見ると十字の形に見える現在の建物は1979年に落成したものです。元町教会群の中では最も新しい教会建築になりますね。

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 さて、こうして元町教会群を中心に巡り歩いて最も印象に残ったのは、異なった宗派の教会が至近距離に建てられていることです。カトリック元町教会、函館ハリストス正教会日本基督教団函館教会(=メソジスト)、日本聖公会函館聖ヨハネ教会……。通常であれば管轄がすぐさま問題になりそうですが、このような重畳が維持されているのも国際港湾都市箱館の名残と考えられるかもしれません。フランス、ロシア、アメリカ、イギリスがそれぞれ建てた教会がそれぞれの歩みで今日まで至っているなんて、他の街ではなかなか見られないユニークな光景ではないでしょうか。

函館山から臨む「100万ドルの夜景」

 元町の観光スポットを一廻りして、18:30過ぎにようやく函館山ロープウェイ山麓駅に到着。 ゴールデンウィーク初日ということもあって、夜景目当ての観光客で大混雑です。家族連れ、カップル、老夫婦、ツアー客、外国人観光客……。チケットを買ってロープウェイに乗り込むまで10~15分ほど待たされました。しかし、これは地獄の始まりに過ぎなかったのです……。

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 ロープウェイで山麓から山頂に上る途中で撮った一枚。夜の函館が「100万ドルの夜景」と評されるのも、このオレンジ色の街灯によるところが大きいと思います。オレンジ色はエネルギーを感じさせる色ですから、眺める人に活力を鼓吹するのかもしれません。私も思わず「おお」という感嘆詞が口をついて出てしまいました。感嘆詞は他人と感動を共有するために使うものではないのです!

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 5分ほどで標高334mの山頂に到着。完全に闇に沈まない薄暮の僅かな時間帯がベストですね。街、海、山、空の境界がはっきりと視認できます。

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 どこぞのカップルが「下を歩いてると何も思わない街なのに、上から観ると綺麗だね」などと話していました。なんて平凡な感想なんだ……。

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 西側に目を遣ると、函館湾対岸の山々に日が沈んでいくのが見えます。

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 しかし、最高地点はここではありません。山頂駅からさらに階段を使って展望台まで登らなければなりません。ここからは行くも戻るも地獄です。階段を登ろうとする人、降りようとする人が混ざって大混乱。人の波をかき分けて最高地点まで登ったはいいものの、例えばZepp (DiverCity) Tokyoの1階最前方でありがちな圧縮に巻き込まれました。「俺が押してるんじゃないよ!」「押されても前に行けねえよ!」「痛い痛い!」というやつですね。

 さらに、一眼レフを持ってきている連中が最前に陣取っており、なかなかどかないうえに、撮影を終えて後方に下がろうとする人も基本的には無言なので下がるに下がれないという地獄絵図。行列整理スタッフも手際が悪く、客側も「すみません」「下がります」「通してあげて」と声を掛け合う気が全く無いので、最前確保のためには欲望と暴力を剥き出しにせざるをえないというタイプの現場ですね。下がろうとしている人を見つけたら、すぐさま掴んで剥がして空きスペースを詰める、という要領で前にドンドン進んでいかないと、永遠に夜景には到達できません(なお、途中で諦めて戻ろうとしても簡単には戻れません)。あと、「全然見えないじゃん」と文句を言う背の低い彼女に「肩車しようか」と提案する彼氏を見ていて、一般人もヲタクも発想は同じなんだなと思いました。

 結局、最前に到達する頃には完全に日が暮れてしまいました。こうなるとスマホカメラではうまく撮影するのが難しいです(一眼レフ勢も大混雑の中でカメラを固定できないのでブレブレだったようですが)。写真ではうまく伝わらないのですが、「世界三大夜景」かつ「日本三大夜景」の一つに数えられる夜の函館は評判に違わず大迫力、まさに絶景でした。皆さんも頑張って最前に到達してみてください。本当にオススメです。

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 ……と、ここで記事を締められれば美しかったのですが、世の中そう甘くはありません。最前から下がるのも一苦労ですが、山麓に降りるまでが新たな地獄の始まりです。ロープウェイは二台しかないので、当然ながらボトルネックが発生します。私がロープウェイ待機列の最後尾に並んだのが19:45頃で、山麓に到着したのが20:50頃でしたから、函館山から降りてくるのに1時間ほど待たされたということになります。この日の函館は日中こそ19℃まで気温が上がりましたが、夜の山麓は7℃程度でしたから、気温逓減率を考慮に入れると山頂は4~5℃だったと思われます。薄着+ホットパンツ+ハイヒールで震えているネーチャンや若ママたちを見ていると、「寒暖差が激しいって知らないのか……」と可哀想な気持ちになりました。コートと手袋を着込んでいって本当によかった(それでも風が吹き付けてきて寒い)。北海道の気候をなめてはいけない!

 二日目に続きます。

Appendix

 ヤリイカまたはスルメイカがあしらわれたデザインのマンホールもあります。

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*1:陸繋島としては「漢委奴国王」の金印が出土した志賀島(福岡県)も有名です。

*2:「函館」表記が用いられるようになったのは、蝦夷地が北海道となった1869年ですので、それ以前の時期の話をするときは「箱館」表記を用います。

http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014020600063/files/gaiyou.pdfを参照。

「大阪」が江戸時代には「大坂」と表記されていたのに似ています。

*3:なお、当然ながら函館ハリストス正教会も内部撮影禁止です。内観については、函館市や各教会のオフィシャルサイトで各自ご確認下さい。

Trip to Hakodadi (1):翻弄の初日 前篇

はじめに

 現在、ゴールデンウィークを利用して函館に滞在中です。函館を滞在地に選んだのは、一言で言えば衝動ですね。せっかく札幌に住んでいることだし、この機会を活かしてゴールデンウィークには北海道のどこかを旅行しようかな。どの街に行こうか。待てよ、道南・道央はゴールデンウィークに桜が見頃を迎えるとテレビで聞いた。一年の間に二度も桜を見ることができる機会なんてそうそうない。桜の名所に行くことにしよう。とりあえず函館だ!……と安直に計画を立て、気付けば札幌から函館までひとっ飛び。これから何回かに分けて、函館旅行記を書いていきます。ご笑覧ください。

「札幌の空の玄関口」丘珠空港

 札幌市交通局・地下鉄東豊線の北の終着駅・栄町駅から10~15分ほど西に歩くと左手に見えてくるのが、札幌丘珠空港という小さな空港です。札幌の知り合いから「丘珠空港、めっちゃショボいですからね。函館に行くなら普通はクルマだと思うんですけど」などと散々な言われようだったので変に期待していましたが、実際使ってみて思うのは「ショボい」というよりは「徹底的に無駄を省いた」と表現する方が妥当ではないかということです。

 それもそのはず、元々丘珠空港陸上自衛隊丘珠駐屯地の専用飛行場であり、1961年になって民間との共用を開始したという経緯を有しています。今も丘珠空港には陸上自衛隊丘珠駐屯地が隣接していますので、栄町駅から丘珠空港まで徒歩で向かうと必然的に警衛勤務中の自衛官から鋭い視線を向けられることになります。だからバス移動やマイカー利用が奨励されているのか! 早く言ってくれ!(たぶん違う)

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 さて、3階の送迎デッキから滑走路側を眺めると、随分小さな飛行機が待機していました。北海道エアシステム(HAC)のプロペラ機だ! プロペラ機に乗るのは人生で初めてなのでにわかに気分が高揚します。先程とは別の知り合いからは「めっちゃ揺れるんで気をつけてくださいね」と忠告を受けたので、こちらも期待が高まりますね。5月3日13:50発のプロペラ機(座席36席!)で、いよいよ函館へテイク・オフ!

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函館空港到着

 14:30に函館空港に到着。丘珠空港からの全体所要時間は40分。あっという間です。あっという間なのですが、このプロペラ機だとせいぜい1時間が関の山かなと思いますので、ちょうどいいのかもしれません。私がプロペラ真横の座席に座っていたからかもしれませんが、お尻から背中にかけて電マを当てられているような感覚が続いて落ち着かなかったですし、高度が下がる時もブランコを漕いでいる時のような気持ち悪さがありました。成田⇄福岡、成田⇄那覇LCCで移動するのが苦にならない私でも、あの揺れは未経験だったので少々面食らいました。これも慣れの問題かしら(次のプロペラ機搭乗チャンスは未定)。

 なお、函館空港で面白いと思ったのは、案内板にロシア語表記があったことです。英語、韓国朝鮮語、中国語が並んでいても特に驚きませんが、ロシア語は一瞬オッと思いますよね。やはり北の大地は一味違うということでしょうか。新千歳空港の案内板はバタバタしていてちゃんと確認できなかったので、今度東京に用事で行く時にでも見てみます。

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天使の聖母 トラピスチヌ修道院

 函館空港からシャトルバスで10分ほど。小高い丘の上にその女子修道院はあります。厳律シトー会「天使の聖母 トラピスチヌ修道院」、通称「天使園」(Kloster Tenshien)。函館旅行、最初の目的地はここです。

  トラピスチヌ修道院(The Trappistine Convent)は1898年4月、函館・上湯川に創立された日本初の観想女子修道院です。1913年10月までにレンガ造りの本館正面棟および聖堂が落成しましたが、1925年10月に発生した火災で焼失。現存する本館および聖堂は、1927年7月までに再建されたものです。

 トラピスチヌ修道院が建つ上湯川は函館の中心街から離れた自然豊かな場所で、「祈り、働け」(ora et labora)をモットーとする厳律シトー会が修道院を構えるには相応しい土地であると言えます。しかし、厳冬が容赦なく襲いかかる函館で、当初はたった8名のフランスから派遣された修道女によって女子修道院が創立されたというのですから、草創期の並々ならぬ苦労が偲ばれます。

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 さて、敷地内はちょうど桜が満開を迎えていました。一年に二回も満開の桜を楽しむことができる贅沢を噛み締めました。4月上旬の「まだこの程度では終わらない」という予感は的中したわけです(白々しい発言)。やはり桜は青空がよく似合います。湿気のない、爽やかで穏やかな春の昼下がり。これで一見さんの観光客がいなければ、もっと心穏やかに過ごせたのに!(自分を棚に上げた発言)

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 旅人の聖堂(2000年落成)。祈りの場である聖堂内部は撮影禁止となっていたため、外観のみをカメラに収めました。聖堂内部には祭壇も備え付けてあり、グループでミサを捧げることもできます。

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 大天使聖ミカエル像。悪魔を踏みつけ、剣でとどめを刺さんとしています。

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 修道院本館。レンガ造りの建築とレリーフが美しいです。

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 修道女を垣間見る……というシチュエイション。どこぞの文学でありそう。観光客の汚いオッサン二人が「ここに泊めてもらって、尼さんに相手してもらいてぇな」などと会話をしていたのが耳に入って不愉快だったので、そういう下世話な感情はアングルだけで示せ!と思い、実践してみました(一言多い)。

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 高台から。環境客が写り込まないようにするのは大変です(以下、殆どの写真についても同様)。

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 丘の上に建つ聖堂。当然ながら内部見学は不可なので、聖堂と司祭館の外観のみをパチリ。聖堂ではいまもミサと7回の祈りが日々捧げられています。俗世に塗れた非キリスト教徒の私でありますが、たまには修道院の敷地内に足を踏み入れて、厳粛な気持ちになるのも悪くないかもしれません(不信心極まる発言)。

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函館市電でGO

  トラピスチヌ修道院からシャトルバスで10分ほど引き返し「湯川温泉電停前」で降車。自動車と並んで路面を走る函館市電に乗り込みます。路面電車に乗るのは2015年5月の富山訪問以来なので、気分が高まります(実は札幌市電は未乗)。始点の湯の川駅から乗るために少しだけ道を逆走しました。結構遠い。こんなことなら「湯倉神社前」で降車するんだった……。

 湯の川駅では野村證券のNISA宣伝マスコットがお出迎え。……ってなんでやねん! こうした函館感のない広告は野村證券にとどまりません。函館を走るバスが京成電鉄の広告でラッピングされていたり、札幌市内の大学(北海学園大学など)の広告が函館市電の車内に貼ってあったりします。全国の交通系ICカードが利用できるようになっているのも、函館がすっかり観光都市化してしまったからなのでしょうか。今回の函館滞在で、私は何度も函館という街の位置づけに思いを巡らすことになりました。これについてもおいおい書いていきます。

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 中央病院前駅で一旦降車し、宿泊するゲストハウスにチェックイン。その後、再び函館市電に乗り込んで十字街駅へ。駅の目と鼻の先にある函館市地域交流まちづくりセンターがお洒落ですね。このセンターは丸井今井呉服店函館支店(1923年落成、その後何度か増改築)を2007年から再利用したものです*1

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 そのまま西へ。この急坂を上っていくと、次の目的地である元町教会群が見えてくるのですが……。今回はここまで! 後篇に続きます。

この坂を上り切ったら

必ず見える景色が好きだって

背中に羽を持つあの子も言って笑ってた

佐咲紗花FEEL×ALIVE」より)

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Appendix

 恒例のマンホールの蓋蒐集カツドウ。函館のマンホールは、五稜郭と旧函館区公会堂があしらわれた爽やかなデザインでした。

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関連記事

www.hakobura.jp

*1:なお、この建物は1970年から2002年までは函館市役所末広町分庁舎として利用されていました。

原敬『でたらめ』を読む(4):原の大阪観(2)

前回のおさらい

rasiel9713.hatenablog.com

 少し間が空いてしまったが、引き続き原の大阪観を探っていく。前回は大阪に関する様々な記述を横断的に検討したが、今回は「客の代人」という何とも不思議なトピックを扱う。この慣行が現在も大阪に残っているのかどうかは知らないが、原の大阪観を浮き彫りにする上で最適なトピックと思われるので、ここで取り上げる。

 なお、本連載を最初から読みたい方はこちら

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Welcome to Hokkaido (2):探索 大通公園近郊

前回のおさらい

 本連載を最初から読みたい方は以下のリンクからどうぞ。

rasiel9713.hatenablog.com

南北方向の起点、大通公園

  さて、今回はさっぽろテレビ塔を臨む大通公園の噴水から出発します。

 札幌の中心市街は平城京平安京さながら、碁盤の目状に区画整理されています。そのため、中心市街の住所も「北3条西6丁目」のように座標で表示することになります。この座標における南北方向の起点となるのが、札幌の中心に東西に広がる大通公園です。大通公園をゼロ地点として、公園と平行に走る通りを数えていきます。北に1条、2条、3条……。南に1条、2条、3条……。この分かりやすい表示ゆえ、数日札幌で過ごせば、行きたい場所の住所を見ただけでだいたいどの辺に位置しているのか目星をつけられるようになります(但し中心市街に限る)。なお、東西方向の起点は札幌を東西に流れる創成川となっています。

 札幌に来てからというもの、ほぼ毎日のように通り過ぎている大通公園。改めて観光客目線で、大通公園近郊の観光スポットを巡ってみようと思い立ちました。それでは出発です。

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札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)

 まずは、言わずと知れた記念撮影スポットの札幌市時計台から。この時計台は原型のまま正確に作動している日本最古の塔時計として有名です。札幌に来たら誰もが一度は足を運びたいモニュメントであることは間違いありません。

 しかし、この札幌市時計台「日本3大がっかり名所」などと呼ばれているのもまた事実。「札幌市時計台は本当にがっかりスポットなのか!」という検証記事まで登場するありさまで、もはや先入観なしで観に行くのは至難の業でしょう。日本語インターネット空間を理解できない人生でありたかった。

 さて、大通公園から北上し、札幌市役所を通り過ぎると、突如として向かい側に時計台が現れます。私の第一印象は「あっ、あれか!」でした。すぐに認識することができず、数秒キョロキョロとあたりを見回してから「あっ、あれか」。つまるところ、背後にそびえ立つビルヂングのせいで(!)存在感がないのです。札幌駅から南下しようが、大通駅から北上しようが、高層ビルヂングの横を通っていくことには変わりがないので、相対的に時計台のスケールがショボく見えてしまいます。

 何が言いたいのかというと、時計台そのものががっかり感を醸し出しているわけではないということですね。お台場の実物大ガンダム立像もそうですが、我々はどうも巨大なものを観ることに慣れすぎてはいないか。札幌市時計台という歴史的存在が札幌の現在を象徴する高層ビルヂングと共存している、ということにこそ目を遣る必要があるのではないか。そんな風に考えました*1

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 パンフレットや観光ガイドブックでよく見るアングル。

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 札幌市時計台の前身は札幌農学校演武場です*2。現在時計台の中は札幌農学校に関するミニ博物館となっていますので、時計台の前で記念撮影するだけでなく、入館してみると勉強になります。受付でさっぽろテレビ塔との共通入場券が800円で買えるのでオススメですね。

 札幌農学校の卒業生としては、有名どころでいうと新渡戸稲造(盛岡出身)、内村鑑三(江戸・小石川出身)、有島武郎(江戸・小石川出身)がいます。東京大学(特に法学部)がベルリーン大学(Humboldt-Universität zu Berlin)モデルの学部割や教育メソッドを採用したのに対して、札幌ではクラーク博士らが招かれてキリスト教に基づく教育機関が設置されたというのは非常に面白い対比かなと思います。クラーク博士が来日するきっかけを作ったのはアメリカに密航・留学した新島襄のようなので、ここでも「中心と辺境」という視角がバッチリ当てはまります。

 ただ、クラーク博士が博士号を取得したのはゲッティンゲン大学(Georg-August-Universität Göttingen)なので、19世紀後半におけるドイツの学問的存在感を過小評価することはできませんし、まして「グローバリズム」対「反グローバリズム」の構図を無理に持ち出すのも不適切でしょう。ここで「中心と辺境」と述べたのは、あくまで札幌農学校卒業生の近代日本知識人史において占める位置を表現するためです。これは色々な縁があって東京を離れ、札幌に滞在している私(仙台出身)としてもアクチュアルな問題なのですが、考えがまとまっていないので、時間が解決するはずだと先送りしているのが現状です。

 (2017年4月30日追記:少し分かりにくいと思われる箇所について補足します。クラーク博士はアメリカ人なので、当然ながら札幌農学校では殆どの講義が英語で行われました。札幌農学校の卒業生の中には英語が堪能な人物が何人もいます。例えば新渡戸稲造は『武士道』を、内村鑑三は『余は如何にして基督信徒となりし乎』や『代表的日本人』を英語で執筆しましたし、有島武郎もアメリカへの留学経験があります。このように、彼らは「アメリカ仕込」のエリートという性格を共通して持っています。そうなると、今日の英語至上主義的なグローバリズムを称揚する手合いから、彼らはグローバル人材の先駆だと持て囃されることになるかもしれません。しかし、当時の「大日本帝国」の主流派が近代化の模範としていたのはフランスやドイツであり、イギリスやアメリカではなかったことを前提とするならば、知識階層における英語教育の「人気度」を過度に高く見積もるのはアナクロでしょう。新渡戸稲造も博士号を取得したのはドイツのハレ大学です。穂積陳重しかり、英語が堪能なことを強みとしたエリートが皆無というわけではありませんが、「英法派」が主流となることはありませんでした。新島襄が創立した同志社英学校の国内におけるポジションも、以上のような観点から検討されるべきではないかと思います。)

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 話を建造物の外観に戻しましょう。実は北海道庁旧本庁舎と同様に、札幌市時計台にも開拓使の徽章である赤い五稜星があしらわれています。記念撮影台側からのアングル(写真一枚目)では見落としがちですが、正面から見れば一目瞭然です。ただ、撮影していて思ったのですが、正面からのアングルだと時計台はのっぺりした感じになり、あまり写真映えしないですね。パンフレットや観光ガイドブックのアングルは考え抜かれたものだったのだなぁ……。既に知られている魅力的なアングルを真似して撮影してみることが、画面作り上達の早道なのかもしれません。

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さっぽろテレビ塔

 札幌市時計台の次は、さっぽろテレビ塔へ向かいます。目当ては札幌市内を一望できる地上90mの展望台です。東京タワーも東京スカイツリー通天閣も登ったことのない私ですが、綺麗に区画整理された札幌市内を見渡せるとなれば、登らないわけにはまいりません*3

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 札幌市時計台で購入した共通入場券のおかげで並ばずに入れました。展望台へ上昇するエレベータの中、60秒きっかりで札幌およびテレビ塔についての説明を終えるエレベータガールには感服の一言ですね。それでは札幌市内を360°見渡せる展望台へ、レッツゴー!

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 ▼北側。札幌駅方面のオフィスビル街。当然ながら時計台は見えません。

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 ▼西側。大通公園から大倉山・三角山までを一気に見渡せます。

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 ▼南側。不夜城・すすきの方面。遠くには銀色の札幌ドームも見えます。

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 「怖窓」(こわそ~)。これ、高所恐怖症の人は完全にアカンやつですね。

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 ▼東側。劇団四季の劇場やバスセンターが見えます。

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 四季折々、日中・日暮れ・日没後、札幌の色々な顔を楽しめるのがさっぽろテレビ塔の魅力のようなので、余裕があればまた足を運びたいと思いました。

札幌市資料館(旧札幌控訴院)

 ここまで札幌市時計台さっぽろテレビ塔とベタな観光スポットを巡ってきましたが、実は大通西13丁目まで足を伸ばすと、なかなか渋いモニュメントに出逢えます。それは札幌市資料館です。資料館といっても入場無料ですし、館内も美術館と公民館を兼ねた形で利用されているので、観光スポット的には優先度は低いのかもしれません。しかし、法学徒なら絶対に外せないモニュメントであることは疑いありません。なぜなら、この建造物こそが旧札幌控訴院だからです。

 札幌控訴院は大正15年(1926年)建造。「控訴院」とは裁判所官制(明治19年勅令第40号)および裁判所構成法(明治23年法律第6号)で定義された上級裁判所であり、現在でいう高等裁判所にほぼ相当します*4控訴院は全国8箇所に設置されましたが、建物が現存しているのは札幌と名古屋の2箇所のみです*5

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 正面玄関のひさし部分には「札幌控訴院」の文字と、目隠しされた法の女神ユスティティア(またはテミス)および秤と剣の紋章が配されています。ところでユスティティアの紋章を目にするたびに、Metallica, ... and Justice for Allを思い出してしまうのは、私だけ?

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 重厚な雰囲気の漂うエントランス。

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 刑事法廷展示室。控訴院時代の法廷を再現した一室で、パンフレットによれば現在も模擬裁判など司法教育のために使用されているそうです。北海道大学法科大学院の学生が使うのか、司法修習生が使うのかは分かりませんが、この建物で模擬裁判を行うからにはきちんとした歴史認識を備えた法曹になってもらいたいと切に願います。

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 せっかくなので「被告人、前へ!」の位置に立ってきました。

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 二階から臨む大通公園さっぽろテレビ塔も遠くに見えます。

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 建物中央の螺旋階段もいい雰囲気です。

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 名古屋を訪れる機会があれば、旧名古屋控訴院も是非とも観覧したいところ。控訴院マスター目指して、頑張ります(なんじゃそりゃ)。

 (2017年6月17日追記:続編を書きました。こちらからどうぞ)

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関連商品

And Justice for All

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*1:そう言いつつも、後述の通りさっぽろテレビ塔に登ってはしゃぐ私であった。JRタワー展望室もそのうち行きたいと思っています。ミーハーでごめんなさい!

*2:とはいえ、元々演武場が位置していた場所からは移転されてはいます。

http://sapporoshi-tokeidai.jp/know/walking.phpを参照。

*3:余計な情報ですが、あべのハルカスは登ったことがあります。といっても、有料の「ハルカス300」には長蛇の列ができていたので、無料の展望スペース(16階)の方なのですが……。

*4:なお、「控訴院」の名称はフランスにおける民刑事の第二審裁判所であるCour d'appelの直訳です。

*5:名古屋控訴院は現在、名古屋市市政資料館として保存管理されています。

http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.htmlを参照。

Welcome to Hokkaido (1):探索 札幌駅近郊

はじめに

 先週から長期出張で札幌に来ています。空き時間や終業後に少しずつ撮り溜めた写真がありますので、整理がてらコメント付きで振り返ってみようと思います*1

新千歳空港

 北海道は私にとって未踏の地。北海道初上陸ということで、フライト前夜から当日の朝にかけては遠足前夜のごとくワクワクしていたのですが、フライト自体はあっという間で、機内で寝ていたら着いてしまいました。座席も窓際が取れなかったので、機内モニターを通じてしか雄大な自然を見ることができず、少し惜しいことをしました。こんな風に飛行機の中まで楽しみ尽くそうとするのって、変ですかね?

 ともあれ、約1時間半で羽田空港から新千歳空港に到着。“Welcome to Hokkaido”の看板が私を出迎えてくれました(今回のタイトルはここから取っています)。にわかにテンションが持ち直します。

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 空港ロビーからJR千歳線新千歳空港駅へ移動すると、急に冷気が。この感じは昨年12月に青春18きっぷで仙台に帰省する途中、JR東北本線福島県を通過する間に各駅でドアが開くたびに経験したあの底冷えに似ています。先週末は日中18~19℃を記録した札幌ですが、今週に入って再び冷え込みまして、最高気温6℃という日もありました。勿論、もう氷点下を記録する厳冬ではないので、仙台出身者としてはそれほど辛くはありません。東京から2ヶ月、仙台から1ヶ月、春の到来が遅れていると言えばよいでしょうか。

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JR札幌駅

 快速エアポートに揺られること36分、札幌駅に到着しました。概観が何となく博多駅を彷彿とさせるのは気のせいかしら。

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 札幌駅から通じる地下歩行空間は圧巻です。地元の方には特に物珍しくもないかもしれませんが、札幌駅~大通駅~すすきの駅を地上に出ることなく歩けるのは、シェルター生活を余儀なくされた近未来みたいな世界観で度肝を抜かれました。冬は氷雪に閉ざされる札幌において、この暖房の効いた広い地下空間は死活問題なのでしょう。「地下通路を通っていけば梅田CLUB QUATTROまで濡れずに行けるね」とは真剣さのレベルが違います。北海道大学方面の札幌駅北口の扉も自動ドアではなく重いガラス戸だったため、雪国仕様なのかと推測しました。地下空間直結のグルメも少しずつ開拓*2していけたらいいなと思います*3

 アピア、エスタ、パセオ、札幌ステラプレイスという4つのショッピングセンターも札幌駅の地下空間から直結のため、とても便利です。出張に来て早々にメガネがぶっ壊れた(下掲ツイート参照)のですが、アピアZoffがあって良かった……。流石に日本第5位の人口を誇る大都市だけあって、日用品の調達やトラブルシューティングには困りませんね。仙台の株がますます下がっていく……。

北海道庁旧本庁舎

 さて、先日は北海道庁旧本庁舎を見学して参りました。開館時間は8:45~18:00で、入館料はなんと無料! こんなことがあっていいのか!

 「赤れんが庁舎」の名前で親しまれる通り、アメリカ風ネオ・バロック様式の美しい建造物です。大阪市中央公会堂といい、岩手銀行旧本店本館といい、どうも私はこの色味と建築様式が好きなようです。

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 旧本庁舎には、開拓使の徽章である赤い五稜星があしらわれています。この建造物が開拓使によって建てられた証左です。サッポロビールの星マークもこの五稜星が元になっています*4

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 旧本庁舎をぐるりと時計回りに一周。

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 現在の北海道庁舎は旧本庁舎のすぐ西側にあります。仕事帰りの地方公務員がぞろぞろ札幌駅に向かって行進してきたので、写真を撮るタイミングが難しかったです。それほど旧本庁舎が札幌市民の生活の中に溶け込んでいるということでもあるのですが。

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 以下、旧本庁舎の内装を何枚か掲載します。正直、一度はこんな建物の中で仕事をしてみたいものですが、この建造物が外国人の力も借りながら「大日本帝国」のフロンティアを開拓する拠点として建てられたものであり、蝦夷地の先住民族を踏みつける象徴であり続けたことを思えば、単純にレトロ建築ロマンに浸るわけにもいかないので、複雑な気持ちです。美術史の専門家が研究対象とどのように距離を保っているのか、機会があれば尋ねてみたいと思いました。

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 歴代開拓長官・札幌県令・北海道長官の執務室です(現在は「記念室」という名称で保存・管理されています)。壁には歴代長官のリストと肖像が掛かっています。そして、リストを見れば一目瞭然ですが、明治初期から中期にかけての長官・県令の出身地は鹿児島(=薩摩)、高知(=土佐)、佐賀(=肥前)、京都に集中しており、明治新政府の藩閥ぶりが窺われます。アジア太平洋戦争後に至るまで北海道出身の知事が誕生することはなかったという事実が、北海道という地方公共団体の「従属的」地位を明らかにしていると言っても過言ではないでしょう*5

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 お、お前は……北方領土エリカちゃん北方領土エリカちゃんじゃないか!

 旧本庁舎二階の「北方領土館」のパネルにエリカちゃんが印刷されているということは、北海道庁北方領土問題対策協会の政治主張に同調していると看做されてもおかしくないわけですが、現首相が「私の世代で、この問題に終止符を打つ」と発言して、ロシアの法律の下での共同経済活動に合意した件(下掲ツイート参照)についてはどう考えているのでしょうか。正直、気になります。

 このように、ガイドブックの冒頭に掲載されているような有名な観光資源にも政治的メッセージが隠されているわけで、政治に無関心ではいられても無関係ではいられないということがよく分かります。こうしたメッセージを読み解き、解きほぐしていく一助になれれば……というささやかな願いもこのブログを運営するモチベーションだったりします。

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 ここまで色々と考えを巡らせてきて、さしたる結論もなく放り投げることに無責任さを感じてはいますが、最後はフォトジェニックな視角から締めます。

 花壇が整備され、花が咲き乱れる季節に、また訪れたいものです!

 (2017年4月30日追記:続編を書きました。こちらからどうぞ)

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Appendix

 すすきのは、昼も夜も最高です。最・高・です!

 今後もじっくりとすすきのの実力を見定めていきたいと思いますね。

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*1:なお、今回の写真は数日にわたって撮影したものを一度にまとめているので、空模様が異なったり時間帯が前後したりしています。記事は時系列順で書いていますが、その時々にリアルタイムで撮影したものではないことを予めご了承下さい。

*2:北海道だけに。

*3:飯テロについてはツイッターの方で随時行っていきますので、そちらをご覧ください。

*4:http://www.sapporobeer.jp/company/history/を参照。

*5:念の為に書いておきますが、私はウォーラーステインの熱狂的な「信者」だというわけではありません。