蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

藝術と劣情:シャセリオー展に接して

はじめに

 ザッハー=マゾッホ歴史小説「風紀委員会」(1877年)には、藝術と劣情をめぐる興味深いワンシーンが描かれている。それは、女帝マリア・テレジアがベルヴェデーレ宮殿に到着した新着の絵画を検分するシーンである。

 ……その、一糸まとわぬ美しい女が描かれている絵からそむけられた女帝の面には、めだって紅がさしていた。

 「あらまあ!」と、女官長は柄付き眼鏡をかざしてその絵を検分してから口ごもった。

 「これはルーベンスでございます」と、素人ばなれした目で吟味していたカウニッツが言った。「なんという華麗な色彩でございましょう、この肌の色つやは奇跡と言うよりほかありません。ルーベンスが同時代人から人間の血を絵の具にまぜたと非難されたのも、このヴィーナスを前にすれば納得がいくというもの。ところでこれはヴィーナスであろうな?」

 「いいえ閣下、これは肖像画でございます」と、画家は解説した。

 「肖像ですって!」と、女帝は叫んだ。「信じられません! ではこの恥しらずな女は何者なのです?」

 「ヘレーネ・フォルマンと申して、ルーベンスの二度目の妻でございます」と、画家は答えた。

 「ああ、それなら申し訳も立とうというもの」と、マリア・テレジアはほっと安堵して言った。「ですがこの絵をギャラリーに懸けておくことはあいなりません。醜聞の種ともなりかねませんから」

 「なんとおっしゃる、女帝陛下」と、芸術に造詣の深い侯爵が異議を唱えた。「陛下はこの偉大な作品を公衆から取り上げておしまいになるおつもりですか? それはありうべからざることです!」

 「それでは、懸けるのはかまわないが、神話にちなむものということにしておくのです」と、折目正しい女帝が言った。「この絵をヴィーナスかニンフか、それともそなたの意に叶うそういった名で目録に載せなさい。」

 「お恐れながらひと言申し上げないわけにはまいりません」と、シュトゥルプナーゲルがあきれるほど深々と腰をかがめながら、マリア・テレジアに歩み寄って口を開いた。

 「その道の者ならだれであろうと、ひと目見ただけでこの絵が肖像画であることを見てとるにちがいございません。もし、これに神話にちなんだ名でもつけましょうものなら、ウィーンは外国の物笑いの種になるでございましょう。われわれのことをありったけの新聞があげつらうでございましょう、陛下。」

 「よろしい、たったいま上策を思いつきました」と、女帝はきっぱりと言った。「シュトゥルプナーゲル、そなた、この婦人をおおう毛皮を描きなさい。」

 「陛下、おたわむれを」と、カウニッツは咳こんで言った。「わたしは大真面目です」と、切り返すマリア・テレジア*1

  このシーンを読みながら、私は初めて裸婦画の実物の前に立ったときの居心地の悪さというか、燃え上がる情動のようなものを思い出していた。

『泉のほとりで眠る浴女』

 前置きはこれくらいにして本題に入ろう。3月31日の午後、私は上野の国立西洋美術館で開催されている「シャセリオー展」に行ってきた。

www.nmwa.go.jp

 美術館へ足を運ぶのは数年ぶりだった。「シャセリオー展」のチラシにも印刷されている『カバリュス嬢の肖像』に一目惚れし*2、どうしても実際に見てみたいという衝動が沸き起こり、万障繰り合わせて足を運んだ次第である(大袈裟)。

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 恥ずかしながら、私は今回の展覧会の情報を得るまでテオドール・シャセリオーという画家を知らなかった。シャセリオーの本格的な展覧会は本邦初ということだから、私と同じような観客もたくさんいることだろう。ともあれ、私はシャセリオーについては無知も甚だしいので、彼を美術史的に位置づけてコメントすることはこのエントリの本旨ではない。ここではシャセリオーが1850年に描き上げた『泉のほとりで眠る浴女』という作品を取り上げたい。

Théodore Chassériau-baigneuse endormie

 『泉のほとりで眠る浴女』は女性の身体を無毛で描くという伝統を逸脱し、腋の下に腋毛を描き込んでいるという点で挑発的な作品である。さらに、本作のモデルが女優のアリス・オジーであることも明らかとなっているため、本作はニンフを描いた神話画にとどまるものではない*3。本作がスキャンダルに発展することはなかったものの、ここに藝術と劣情/エロティスムの相剋が感じられるのは確かである。

劣情について

 私が初めて裸婦画の実物の前に立ったのは、2008年3月19日のことだった。奇しくも同じ国立西洋美術館で開催されていた「ウルビーノのヴィーナス」展で、私はティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』に出逢った。いや、出逢ったというと語弊があって、私から積極的に彼女に逢いに行ったのである。生まれて初めてたった一人で東北新幹線に乗り込み、東京に足を踏み入れたあの日の高揚感を私は忘れない。

Tiziano, venere di urbino 01

  『ウルビーノのヴィーナス』体験について、当時の日記には次のように書き残してあった。

……中でも圧巻だったのは、表題にもなっているティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」であった。カンヴァスの全面に照り映える裸体の貴婦人は、じっと視線を鑑賞者に向けてくるのだ。まるで、自分が神性をまとった裸婦の前に立ちつくしているかのような格好になる。誰もが言葉を失い、ヴィーナスの肉感に酔いしれる瞬間である。今、私は肉感という言葉を用いたが、美の女神ヴィーナスに官能性を求めるのは間違っているという声が聞こえてきそうだ。しかし、「ウルビーノのヴィーナス」は、神々しい姿であると同時に、娼婦のような妖しげな魅力も持ち合わせている。これに限った話ではなく、ヴィーナスの絵画から性的なメッセージを受け取れないと言ったら嘘になるだろう。……

エロティシズムから始める包括的「美」試論(2008/4/28) - 蛇足頭脳流出

  過去に私は、Twitterでもこの経験について回顧したが、こちらではいっそう直截に「オカズにしたかった」という表現を用いた。

 絵画鑑賞のマナーとして、裸婦画を雑誌のピンナップのようにじろじろと舐め回すように凝視することを控えるということが挙げられるのかどうかは知らないが、いずれにせよ、私自身が下衆な「まなざし」を裸婦画に向けていることは否定できない。この下衆な「まなざし」を無理に正当化するつもりはない。むしろこうした「まなざし」を道行く一般の女性たちに向けてはいなかったか、アイドルや声優に向けてはいなかったか、と自問するために敢えて恥部を晒している。藝術と劣情の危うい関係に、私はいつまで翻弄されるのだろう。シャセリオーもこの危険な関係を察知していたからこそ、『ヘロとレアンドロス(詩人とサイレーン)』を描いていたのだろうか……。

結びにかえて

 明確な結論のないエントリで恐縮だが、シャセリオーの『泉のほとりで眠る浴女』を国立西洋美術館のフロアで前にしたとき、プルーストの『失われた時を求めて』さながら、『ウルビーノのヴィーナス』の前に立ち尽くした9年前の記憶が鮮明に蘇ってきたため、いま書かざるを得なかった。

 読書や絵画鑑賞の記憶の断片が何らかの求心力によって引き寄せられ、結び付けられるときの、あの「繋がった!」という感覚をこれからも大事にして歩んでいきたい。そう思えた有意義な一日であった。たまには美術館もいいものである。

*1:ザッヘル=マゾッホ(池田信雄/飯吉光夫訳)『残酷な女たち』河出文庫、2004年、126-128頁。

*2:一目惚れはアンドレアス・メラーの手になるマリア・テレジア肖像画に惚れ込んだとき以来の感覚だった。

参照:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Andreas_Moeller_-_Erzherzogin_Maria_Theresia_-_Kunsthistorisches_Museum.jpg

*3:『シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才』TBSテレビ、2017年、136頁。