蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

原敬『でたらめ』を読む(1):西欧近代との対峙

はじめに

 去る3月26日、私は盛岡を訪れた。その詳細については以下のTogetterまとめを参照していただきたいが、今回話題にしたいのは、道中で立ち寄った原敬記念館で購入した『でたらめ』という書籍だ*1

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 『でたらめ』は、盛岡出身の政治家で「平民宰相」として人口に膾炙した原敬が、大阪毎日新聞の編集長を務めていた時代に「でたらめ記者」のペンネームで執筆したエセーで、ジャンル的にはマナーに関する「ハウツー本」にあたる。発行は明治32年(1899年)8月だから、時期的には日清戦争日露戦争戦間期で、まさに日本の産業革命が本格的に進展し始めた頃ということになる。

 原敬はこうした世相の変化の中で『でたらめ』を著した。『でたらめ』の趣旨はその緒言で明らかにされているため、以下に全文引用する。なお、旧字体や旧仮名遣いについては適宜現代のものに改めた。

 維新以来朝となく野となく泰西の文物を模擬して所謂長を取り短を補ふの説は全国を風靡して、遂に今日の新日本をなしたることとなるが、政治法律の喧ましき議論は姑く措き、日常目に触れ耳に聞く所の事物は、今猶ほ変化の時代に在り、今後又如何に変化するか実に予測すること出来ぬ次第なれども、新条約は遠からず実施せらるべく、内地雑居も同時に行はるることとなりたれば、一から十まで欧米の真似するにも及ばずと云ふ人もあらんが、去りとて頑固に旧慣を維持せんとの論には何人も同意せざるべし、依て吾輩は斯くもありたらんには如何と思はるるままを記して、甚だでたらめながら敢て世人の教を請ふこととなせり*2

  原敬はこのように述べて、急進的な貴族的欧化主義と意固地な国粋保存主義の両極端を否定した上で*3、自分なりに西欧近代と対峙し、それを乗り越える道を模索することを宣言している。さて、ここからは、私が『でたらめ』の中で興味深いと感じた論点をいくつかピックアップして紹介し、それに続けて簡単なコメントを付すことにする。即ちこれは、嘗て西欧近代と対峙した明治のジャーナリストと私が対峙するという入れ子構造の対峙の試みである。

 「西洋真似損ひ」

 「でたらめ記者」こと原敬は、当時世間で流行していた西欧の諸作法の「真似損なひ」について以下のような苦言を呈している。

近年西洋の真似することが、流行するにつれ、真似損なひが甚だ多い、これは西洋の出来損なひを真似するのである……欧米人の東洋に来て居る者は、大概は本国に居るように儀式張るには及ばぬ何うでも宜しいと云ふやうに心得ているらしい、又在留人の内には本国に居ては上流社会に交際の出来ぬやうな人もあるから、自然体裁と云ふことに余り重きを置かぬ、それと今一ツは気候が違つて居る、暑寒ともに違つて居るから万事本国に居る様には出来ぬ事情もある、ツマリさう云い事情からして、欧米各国に居る者と比較したる目から見れば、非常に無作法な形をして居る、此無作法を以て西洋風だと心得たのが、即ち西洋真似損を遣て居る連中の根本的誤解である*4

 原敬が日本の西欧近代文明の継受に関して、オリジナルが歪曲されたという基本的な視角を有しているのは非常に興味深い。この視角は明治18年(1885年)12月から3年間にわたるパリ公使館駐在の間に培われたと思われる。原敬は前述の箇所に続けて、自分はオリジナルを知っていると言わんばかりの筆致を示す。

切角当人は西洋風を真似た積り意気揚々として居ても、上等社会の西洋人や西洋を見たことある者の目からすれば抱腹絶倒の至りで、又一方から云へば甚だ憫然の有様で、迚も迚も紳士などと見られたものでない*5

 こうした原敬の姿勢は、石川健治の講演「夕映えの上杉慎吉」(2014年10月30日)で取り上げられた、永井荷風の「本店と支店」論を彷彿とさせる。

 かなり嫌味たらしいが、「本店」であるパリで外務書記官および代理公使として勤務した原敬だからこそ成せる批判であるとも言えよう。ともあれ、原敬は自身のフランス渡航経験をもとに記事を執筆してはいるものの、「これだから後進国はだめなのだ」とまでは言っていないことには注意が必要である。以下に掲げる箇所は、原敬比較文化論的な視角をよく示している。

例ば欧羅巴では尽くとは往かないが、多くの国では日傘を翳ない、決して翳す処がないではないが、併し倫敦とか巴里とか伯林とか云やうな大都会では翳さないと云ふのは実は翳す必要がないのである、欧米と云つても広いから一概には言へぬが、欧羅巴辺の諸大国の気候では、実は日傘を翳さぬでも熱くはない、第一着物が冬と夏の服ばかりである、けれども此夏の服は、日本では春秋にしか着られぬ、迚も夏の間に着て居られるものぢやない、故に先づ夏冬の二服と云つても宜しい、向ふでは冬と夏が長くつて春秋の間が短かい……所が夫を日本に居つて真似をして、夏の炎天で堪らぬ時に、無理に日傘を翳さずに汗を拭き拭き仕事をして居るものもある、欧羅巴では気候の関係上翳さぬであるのに、夫を無理に苦しんで西洋の真似をして居る、実に馬鹿げた話だ、国の気候が違つて居る以上は、幾ら欧羅巴の真似をすると云ふた所が、ソンナ必要はない……寒さに至ても其通りだ、日本では迚も外套を着ずには凌げない処が多い、故に冬は外套を用ひなければならぬのに、無理に痩我慢をして外套を着ないで居たりすると云ふのも、甚だ馬鹿げた話だ、其寒さに応じたものを着るが宜しい*6

 やれ世界大学ランキングだ、スーパーグローバル大学創成支援だと浮足立っている手合いは、以上紹介したような原敬の姿勢に学ぶところが大きいのではないか。明治のジャーナリストの方が、現代の我々よりも遙かに冷静沈着である。

 ドイツでは近代歴史学が発達した。これに対して、フランスでは比較の学が強い影響力を持った*7原敬比較文化論は「でたらめ」ながらも、フランス語教育とフランス渡航経験の賜物であるように思われてならない。とうとう福沢諭吉文明論之概略』を読む日も近いかもしれない。

(次回継続)

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*1:なお、この書籍は一般流通しておらず、現在原敬記念館の物販コーナーでしか購入することができない。

*2:『復刻 でたらめ(原敬著)』盛岡市原敬記念館、2004年、1-2頁。

*3:前者の例としては井上馨の所謂「鹿鳴館外交」や大隈重信大審院政策に顕著な上からの欧化を、後者の例としては岡倉天心フェノロサによる東京美術学校の創設などを念頭に置けばよいと思われる。

*4:『復刻 でたらめ』、60-62頁。

*5:同書、62頁。

*6:同書、63-65頁。

*7:例えば、モンテスキューやデュルケムを念頭に置けばよいと思われる。