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蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

原敬『でたらめ』を読む(3):原の大阪観(1)

前回のおさらい

rasiel9713.hatenablog.com

 今回の記事では原敬の大阪観を探る。既に述べた通り、原は『でたらめ』を執筆しているとき、大阪毎日新聞の編集長の職位にあったが、あくまで彼は盛岡出身の「東人」であることには注意が必要だ。原の大阪観には余所者としての外部からの視点が表れていると思われるため、彼の透徹した観察眼とやや陳腐な偏見の双方に目を配りつつ、『でたらめ』を縦横無尽に駆けていくことにしよう。これは仙台出身の「東人」である私自身の関心でもある。

 なお、本連載を最初から読みたい方はこちら

原の「大阪dis」

 『でたらめ』は大阪在住の読者層を想定しているためか、『でたらめ』の中では大阪の特異性に関する話題が多岐に渡っている。まずは原がわざわざ大阪を引き合いに出して批判的な(というか、一言余計な)コメントをしている箇所をいくつか見てみよう。なお、引用中の下線は全て私によるものである。

又西洋食であると、無茶苦茶に物を食つて、食つて仕舞つたから直に帰るなどと云ふのは大阪に多いが、どうも食事一方で行くのぢやない、飯は宅でも食へるが、多くの人が集まつて食事をし、其間に面白き談話をもするので、始めて其会合の趣旨にも適ふのである、碌々物も言はないで無茶苦茶に物を食つて、食つてしまつたから直に帰るなどは実に不体裁極まる話だ、食事の間も無論緩くりと談話をして、さうして食事が済んでからも、煙草でも喫むとか茶を喫むとか、少くもお互に三十分や一時間は打解けて話でも為合つて、帰ると云ふやうでなければ、どうも礼に始まつて礼に終つたものとは言へない*1

西洋風の宴会に近頃音楽隊を招くことが流行する、至極面白いやうではあるがここに困難なことがある、東京辺では多少の注意も届いて居るらしいが、大阪では家の外にて催す園遊会の類は別として、室内に於て催す宴会の類例へばホテルで催す宴会の類は、ホテルのことであるから、部屋の都合も思ふ様には出来ない、総ての準備に不足のあることは免がれない、夫ゆゑ大に咎むることの出来ない事情もあるが、食事もする演説もすると云ふやうな同じ室の中で奏楽する、それはそれは迚も話も何も出来たものぢやない、勿論演説でもする間は奏楽を止めるから解りもするが、其他は食事中でも立食中でも、同じ部屋の中で音楽をドンドン遣られるから、其ドンチヤン騒ぎで話も何も聴えない、御馳走の様であるが、或る場合には迷惑に感ぜられることもある、故に此音楽は矢張西洋風に、その客の居る部屋の外の廊下か若くは次の部屋か、兎に角少し離れた所で遣る方が宜からう、さうでないと音楽を聴いて楽しむ所ではない、音楽の為めに耳が聾になる*2

西洋食事で席順の定まつて居ると云ふやうな所は不都合もない、又日本食でも其席に名前でも書いてあると云ふ場合は大した不都合もないが、席順の極めて無いと云ふ時には甚だ難儀をする、マア貴方がお先に、イヤ貴方がと云つて却々動きやしない、これは東京辺でも可なりある習慣だが大阪は殊に酷い、事に依ると席順を極めて名前を書附けて置いても尚ほ譲合つて居る、甚しきに至ては窃と席に書いてある名前を取換たり何にかする連中がある、兎に角此有様を見れば、実に何うも何とも云へぬ謙遜家で、何とも云へぬ堅い人のようであるが、さう三十分も一時間も押問答した後に漸う席に着いて、扨それから何うなるかと云へば、言語同断原文ママ、少々酒が廻ると全く別人のやうになる、酒を飲む人は酒の為めとも言はうが、酒も何も飲まぬ人にて途方もない話をすることもあれば、若し又其席に芸者でも居れば途方もない戯れをもする、兎に角席に着た後と云ふものは大変である*3

……コンナ事を以て謙譲の美徳と心得て居るのは余程辻褄の合はぬ話だ*4

大阪ではホテルなどの宴会の帰りがけに、何か以て帰る人があると云ふことである、白巾〔ナプキン〕を持て帰つたりフオークを持て帰つたりする人があると云ふ話だが、これは随分酷い話だ、マア八釜しく云へば泥棒だ、シカシ其人に悪意のないことは知れて居る、不案内から起ることであらうが、どうも白巾やフオークなどを持て帰られて堪るものでない、殊に数の揃つて居る物を持て行かるれば後は端物となつて仕舞ふ、ホテルで通常使用するものは上等品でもあるまいけれど、それでも取られる方では困るから、近頃は白巾の代りに薄ツぺらな半紙ぐらゐの縮んだ紙などを出して居る、何処の国にコンナもので間に合せてる処があるものか、ホテルでもそれ位の事は知て居るんだが、良い物を出せば持て行かれるから仕方がないと云ふ、これは大阪に限る、東京辺でも随分不体裁なことはあつたが、近頃は真逆ナプキンやフオークを持て帰つたと云ふ話は聞かない、どうも是だから大阪人は残飯や空瓶まで持て帰ると云ふやうな悪口を言はれる*5

 このように、原の「大阪dis」は多岐に渡っているばかりか、大阪の市井の人の生活ぶりを具体的に活写した、読ませる文章でもある。ただ、原の「大阪dis」が当時の大阪の実情を正確に反映したものであるのかについては、他の史料と合わせて解釈しなければならないため、この記事では引用箇所から窺われる原の大阪観にのみフォーカスして話を進めていく。

 端的に言って、原の「大阪dis」は陳腐である。万国、あらゆる地域の文化を全て把握・比較するのは原理的に不可能であり、「これは大阪に限る」と断言することはできないはずだ。そのことは、前述の通り比較文化論的な視角を持ち合わせ、「本店と支店」を鮮やかに対比・比定してみせた原なら、当然理解していたと言うべきだろう。しかし、その嫌味なまでの怜悧な切れ味は大阪の話題になると影を潜め、極めて俗っぽい床屋政談や飲み会での愚痴の水準に落ちていく。ここでは原は完全になまくらだ。大阪に対する個人的な思いの昂りが冷静な評価を妨げたのか、大阪毎日新聞の編集長という職位が敢えて啓蒙的な文章を書かせたのか、それは定かでないが、いずれにせよ原が大阪に特別な感情を抱いているのは事実であろう*6

 また、原の「大阪dis」はたいてい東京との対比によって描出されている。かといって原は東京側に同一化し、東京の立場を代弁しているわけではない。原は西欧と日本をざっくりと比較する視座にあるため、彼にとっては東京の文化すらも相対化の対象であることに注意しなければならない。そもそも、原は盛岡出身なのであり、「江戸っ子」などではないのだ。こうした「大阪も東京も両方批判できる超然とした私」像に原が酔いしれているとは思わないが、今日の日本語ツイッター空間における「冷笑系」ボリュームの圧倒的存在感からすると、(悪い意味での)現代的再評価もあり得る話ではないかと危惧してしまう。

 そして、最後の引用箇所で「どうも是だから大阪人は」という表現が使われているのも興味深い。コーパスを使って分析したわけではないので表現の初出こそ不明なれど、明治30年代初頭に既にこうした貶し文句が定型化されているのを見るにつけても、「リベラル」を叩かずにはいられない実存を抱えた「ツイッター弁士」の芸風が陳腐極まるものであるとよく分かるのであった。

(次回継続)

*1:『復刻 でたらめ(原敬著)』盛岡市原敬記念館、2004年、17-18頁。

*2:同書、22-23頁。

*3:同書、28-30頁。

*4:同書、32頁。

*5:同書、52-54頁。

*6:原は明治35年(1902年)に求めに応じて大阪北浜銀行の頭取に就任しており、その後も大阪との縁が切れなかったことが窺われる。