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蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

Trip to Hakodadi (3):沈思の二日目 前篇

前回のおさらい

rasiel9713.hatenablog.com

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函館朝市 きくよ食堂本店

 2017年5月4日、函館二日目の朝は早い。何故か知りませんが5時前に起きてしまいました。宿泊先最寄り駅の函館市電・中央病院前駅の始発は6:26なので、だいぶ時間があります。ベッドでゴロゴロしながら前日に撮影した写真を整理したり、今日行く予定のスポットを確認したりしていたら、なんと始発に乗り遅れるというマイペースぶりを早速発揮してしまいました。結局6:42谷地頭行きの市電で函館朝市へ遅ればせながら出発です。

 今日は前日の反省を活かし、市電1日乗車券を600円で運転手さんから購入。函館市電は初乗り運賃が大人210円なので、1日の間に3回以上市電を利用する場合は1日乗車券を購入した方がお得になります。ちなみに市電・バス共通乗車券(1日乗車券1,000円、2日乗車券1,700円)もありますが、函館の中心街を観光で廻るだけなら路線バスはまず利用しませんので、こちらは買わなくていいと思います。少なくとも私は函館に3日間滞在して一度も路線バスには乗りませんでした。こちらの「市電1日乗車券と市電・バス共通1日券とどちらがお得?」という記事でも、市電1日乗車券の方が選ばれています。

 さて、そうこうしているうちに市電・函館駅前駅に到着しました。函館朝市函館駅前駅から徒歩5分ほどの立地にあります。早朝5時から開店しているお店もあるため、朝から大混雑です。そんな中、私が二日目の朝食に選んだのは、きくよ食堂本店の 「元祖函館 巴丼」(税別1,680円)です*1。入店までの待機時間は30分ほどだったので、前日の函館山頂1時間下山待機に比べれば余裕でした。

 いくら、ほたて、うにのトリコロールが美しいです。いただきます!

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 感想としては(うに以外は)「普通」でした……。自分がそこまでいくらに燃えない人間だったのが原因ですね。巴丼のいくらは少し衝撃を加えた程度ではつぶれないので新鮮なのだろうとは思いますが、うん、おいしい!と即答できませんでした。正確には、いくらを食べ慣れていないのでこれが美味しいのかどうか判断できませんでした(不味くなかったのは確実)。無難なメニューを選んだ結果、あまり函館感のない(?)海鮮丼体験となってしまいました。なんか、いくら大好きな人に怒られそうですが、もう少し高級ないくら丼を食べたら認識も改まるのでしょうか。単に好みの問題だとすれば、自分の嗜好を把握できていなかった私が悪いということになりますね……。この反省をもとに、私は翌日から自分の好きなネタを攻めることになります。乞うご期待!

桜が丘通の桜並木

 海鮮丼で腹ごなしをして一旦宿泊先へ帰投すると、ベッドメイキングをしている女将さんと鉢合わせました。世間話をしているうちに、女将さんから「今日はどちらへ行かれるんですか?」と訊かれたので、五稜郭の桜を観に行く予定だと伝えると、「桜なら、近所に桜のトンネルがあるんですよ。とても綺麗なので五稜郭に向かう途中に是非観てください!」と元気よく勧められました。地元の人間の勧めには素直に従うのが吉。ちょっと寄り道をして、桜が丘通の桜並木へ赴くことにしました。

 桜が丘通は柏木町から松陰町を経て人見町に至る約800mの通りで、通りの両側に植えられたソメイソシノが「桜トンネル」を形作る函館の桜の名所です(知らなかった……)。抜けるような青空と桜トンネルの相性がここまでいいとは! 桜トンネルの美しさが整備された人工の美であることは疑いありませんが、今日の桜並木の生命力は計画段階での想定を凌駕していると思います。きっかけを与えたのは人間でも、輝いているのは桜そのものではないでしょうか。ともあれゴールデンウィーク中、天候に恵まれたのは本当に幸いでした。宿泊先の女将さんからは「Rasielさんの普段の行いがいいからですね」と言われましたが、こういう調子のいいやりとり、嫌いじゃないです。

 以下、しばし桜トンネルの写真をお楽しみください。

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 なお、宿泊先の女将さんが言うには、桜が丘通の近隣住民は約100本のソメイヨシノが一斉に散った後、花びらの掃除で大変らしいですが、気ままな観光客の私は同情することしかできません。そもそも地元民の女将さんですら、住んでいる区画が違えば他人事なのですから、私が無関係なのも当然と言わなければなりません(我ながらひどい結論だ……)。無関係の皆さんも是非、桜のシーズンに函館を訪れた際には、桜トンネルをくぐってみてください。

満開 五稜郭公園

 桜が丘通の桜並木で既にお腹いっぱい感ありますが、今日の最初の目的地はあくまで五稜郭です。普通であれば市電・五稜郭公園前駅の方から歩いてくるか、道道571号線や道道83号線を車で通ってくるか、どちらかのルートで五稜郭を目指すのでしょうが、桜が丘通に寄り道をした私はそのまま閑静な住宅街を通り抜けて北へ進みました。住宅街は殆ど人が歩いていませんでしたが、ときわ通に出た瞬間に車の大渋滞と群衆が目に入ってきてゲンナリ。ゴールデンウィーク中の函館で混雑を避けるのが至難の業だと少しずつ悟り始めた私なのでした……。

 まずは、公園の敷地内を横切って五稜郭タワーへ向かいます。

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 今年の五稜郭公園の桜は5月1日に満開を迎えたため、私が訪れた5月4日には既に葉桜が目立ち始めていました。五稜郭タワー2階(無料フロア)の窓ガラスから眺めると、一部葉桜になっている様子がよく分かります。それゆえ、「満開 五稜郭公園」という見出しはタイトル詐欺臭いのですが、「葉桜 五稜郭公園」というのもしっくりこないので、ご寛恕いただければと思います。

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五稜郭タワー 展望台

 さあ、いよいよ五稜郭タワーの展望室に上るぞ、チケット売場はどこだろう……と探していると、目に飛び込んできたのは「待ち時間40分」の文字が書かれたプラカード。ヲタク特有のムーヴで躊躇なく最後尾に並び、ツイッターを開きます。チケットを買うまでに40分、展望台へ上るエレベータに乗り込むまでに10~15分。スマホのバッテリー残量こそガンガン減りましたが、暖房のきいた室内待機だったこともあって特に苦痛もなく待機時間を過ごすことができました。

 エレベータに乗り込む前にスタッフからチケットを切られましたが、なんとパンチ穴が星型でした。五稜郭感が出てきましたね。それにしても「一般☆大人」と、その位置に穴を開けられると、なんだかキャピキャピした印象を受けます。

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 地上90mの展望台から臨む五稜郭。大正時代以来、外縁部に植えられた約1,600本の桜が咲き乱れ、薄桃色の輪郭を形作っています。

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 五稜郭ヨーロッパの城郭都市をモデルに築造された星型の城郭であり*2、その直径は約500m,堀の周囲は約1.8km,史跡指定範囲の面積は約251,000㎡(東京ドーム5個分)にもなります。突出した「稜堡」を有する星型城郭は守備側の銃の死角をなくし、敵側に十字砲火を浴びせることも可能にするという考え抜かれたデザインであり、「五角形」と評するのは適切ではありません。

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(上図はhttp://stelo.sakura.ne.jp/paorep/usuda-tatsuoka.htmより引用)

 五稜郭は1857年7月に着工し、1864年4月の完成まで約7年を費やして築造されました。正面出入口の前面に突出した「半月堡」は、当初の計画では他の稜堡の間にも設置される予定でしたが、幕府財政の逼迫や工期短縮の必要性から一箇所のみの設置となりました。

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 以下、五稜郭タワー展望台からの眺望を紹介していきます。

 西側、清水山方面。函館空港トラピスチヌ修道院もこちら側です。

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 南側、津軽海峡方面。この日は天候に恵まれ、青森県下北半島を見渡すことができました。水平線にうっすらと見えるのが下北半島です。

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 南西側、函館山方面。中心市街や函館港もこちら側です。五稜郭が港湾からだいぶ内陸側に築造されたことが分かります。

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 南側のパノラマ写真です。結合部が微妙に歪んでいますが、左手に下北半島、右手に函館山を見渡すことができます。函館の人間は「津軽海峡を隔てた本州の方ばかり見ている」という言説が実感を伴って思い出されました。函館はほぼ本州と言っても過言ではないでしょう*3

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 東側、函館湾方面。函館湾対岸の上磯や鏡山を見渡すことができます。

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特別史跡 五稜郭跡 ~榎本武揚 再考~

 展望台から地上に下りて、五稜郭の敷地内も歩いてみました。東京ドーム5個分の敷地外縁部に咲き乱れる桜は圧巻の一言につきます。一部が葉桜になる前の文字通りの「満開」のタイミングに来られれば、より色鮮やかな輪郭の五稜郭を楽しめたはずなので、この点で函館市民が少々羨ましくなります。

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 星型城郭は線対称かつ点対称の図形なので、五稜郭敷地内を巡り歩いていると現在位置が分からなくなります。Google Mapがなかったら危うく迷子になるところでした。ひとまず中心部の箱館御役所(2010年再建)まで引き返すことで出口の方向が分かりやすくなると思うので、迷っても焦らず行動しましょう!

 さて、いまや完全に桜の名所として定着している五稜郭ですが、ここが本邦最後の内戦となった戊辰戦争の最終局面、箱館戦争における旧幕府脱走軍の本拠地であったことを忘れてはなりません。そして、是非覚えておいていただきたいのが、旧幕府脱走軍(通称「蝦夷共和国」)の総裁を務めた、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚という人物です*4

 五稜郭タワーでは、1階にも展望台にも土方歳三の像が設置されており、観光客の記念撮影スポットと化していました。この光景を目の当たりにして、私は五稜郭タワーってやっぱり土方歳三推しなのかな」と思いましたが、実際はどうなのでしょう。また、榎本と土方では圧倒的に後者のほうが知名度も人気も上なのでしょうか。私は世代的にNHK大河ドラマ新選組!』(2004年)ドンピシャなので、土方というと山本耕史のイメージが強いのですが、土方は(沖田総司と違って)実物もハンサムで、旧幕府軍箱館まで連れ添って討ち死にするという義人ぶりからか、世間的には高い人気を誇っていると個人的には感じています。

 こうした世間の評価を否定するわけではありませんが、土方は新撰組「鬼の副長」を務め上げた後、旧幕府脱走軍においては陸軍奉行並・箱館市中取締などを務めるにとどまっており、軍隊の士気を維持するのに一役買ったとはいえ、政治的な影響力はさほど大きくなかったのではないでしょうか。どうも私は、土方を英雄視する向きには「脱政治化」傾向、つまり「現場プロフェッショナル」ロマンティシズムを感じてしまいます。

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 このように、土方がいわば「現場」の指揮官に過ぎなかったのに対して、榎本は旧幕府脱走軍の最高司令官でありました。榎本は幕末にオランダへ留学し、造船や国際法を学んで帰国したという筋金入りのエリートです。榎本の知見は蝦夷地上陸の際や箱館占領後にも遺憾なく発揮されました。まず、旧幕府脱走軍が鷲ノ木海岸を上陸地に選んだのは、既に国際港湾都市として開港されており、各国領事館が建ち並ぶ箱館での戦闘を回避するという外交上の配慮からだったと考えられています*5。次に、旧幕府脱走軍は箱館占領後まもなく各国領事と会談し、各国との貿易を継続することを確認したほか、蝦夷地開拓の嘆願書を新政府へ取り次いでもらうなど、自身の地位を確立すべく尽力しました*6。こうした動きの背景には、榎本がオランダで培った国際法の知識や国際感覚があったとされます。さらに、旧幕府脱走軍が五稜郭入場後に新政府軍の俘虜や傷病兵に手厚い対応を取ったことも*7、榎本の支持によるのかもしれません。以上より、榎本が五稜郭箱館戦争を語る上で外せないキー・パースンであることは疑い得ません。

 しかし、話はここで終わりません。結局1869年5月、新政府軍の反撃によって箱館が奪回されると、旧幕府脱走軍総裁の榎本は新政府軍に屈服、東京で投獄されますが、その後助命され新政府に与することになるからです。ここで、五稜郭タワーの売店で販売されている公式パンフレットの記述を見てみましょう。

 明治2年(1869)5月17日、榎本武揚と副総裁松平太郎は新政府軍の陣地に出向き、降伏を申入れました。翌18日早朝、榎本ら脱走軍幹部4名は、五稜郭内に整列した兵士達の苦労をねぎらい、彼らの見送りを受けて新政府軍の軍門に出頭。残る将兵も箱館へ護送され市内の寺院などへ収容されました。

 旧幕府脱走軍で約800名、明治新政府軍では約300名の尊い犠牲者を出して、半年間にわたる箱館五稜郭をめぐる動乱は全て終結しました。徳川家臣団による蝦夷地開拓の夢はここに潰え去り、多くの人々の命と引換えに近代日本の基礎が造られていくのです。

 榎本ら旧幕府脱走軍の幹部は東京へ送られ投獄されましたが、明治5年(1872)には赦されて、その多くが北海道開拓使への出仕を命じられました。中でも榎本武揚は、開拓使を皮切りに明治政府の要職を歴任し、大臣としても活躍することになります。

 彼らは、明治政府が新しい国づくりを進めていく上でも、是非とも必要な才能であったのです。新しい時代を夢みながら明治維新の動乱で亡くなった多くの人々の志を受け継いで、日本の発展に力を尽くしていったのでしょう*8

  このように公式パンフレットは榎本の「転身」を美談としてまとめていますが、私は高校生の時分からずっと彼の「転身」について割り切れない感情を抱いてきましたので、パンフレットの筆致には疑問があります。榎本は1875年には千島・樺太交換条約締結の特命全権大使を務めるまでに出世しており、旧幕府脱走軍の総裁として新政府軍に徹底抗戦していたとは思えない豹変ぶりで驚きます*9。そして、この樺太放棄論の主唱者こそ、箱館戦争で新政府軍の総指揮を執り、榎本に降伏を求めた黒田清隆なのですから、榎本が完全に黒田率いる開拓使の方針に忠実であることがよく分かります。

 私は函館の運命は榎本が黒田に屈服した時点で決したのだと思います。黒田が開拓次官(のち長官)に就任したことに鑑みれば、五稜郭の陥落とは、函館という歴史ある国際港湾都市が札幌という新政府肝煎りの新興都市の支配下に置かれたことに他なりません。現在も大通公園に黒田やケプロンの像が建っているように、札幌自身も「従属的」地位を脱却できていないわけですが*10函館はその札幌に支配される「従属の従属」という位置に構造化されたと言わざるを得ません。前回の記事で述べた函館の「観光都市化」の端緒は、榎本の屈服および「転身」だったと考えられるのではないでしょうか。「函館市人口減少 負の循環」という現状に歯止めがかかるのか、今後も注視していく必要があります(具体的な改善策を提示しない丸投げエンド)。

 後篇に続きます。

Appendix

 五稜郭タワー公式イメージキャラクター「GO太くん」。私がSwarmで五稜郭タワーにチェックインしたらすぐさまリプライを飛ばしてきましたが、@gota_kunへのメンションに対して自動返信する仕様なのでしょうか。いずれにせよ、節操のない馴れ馴れしい運営については、私はエゴサして突撃してくるアカウント並みに嫌いなので、若干ながら五稜郭タワーへの好感度が下がりました。ひっそりと楽しませてほしい。そんな面倒な人間が一名、ここにおります。

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*1:実際には、丘珠空港に置いてあった『ハコダテコモド』のクーポン券のおかげで5%引きで食べられました。空港や観光案内所に置いてある冊子にはクーポンやお得情報がついていることもあるので、見逃せないと改めてか実感しました。

*2:五稜郭の構造については「日本の城訪問記」の記事に詳しいので、こちらも併せてご覧ください。

*3:早朝に函館朝市で耳にしたアクセントも東北地方の港町のそれに似ていました。ここでは宮城県石巻のアクセントを想定しています。

*4:榎本武揚の名前が「常識」扱いされているのか少々不安になったので、このような筆致をとりました。

*5:五稜郭歴史回廊ガイド Vol.2 五稜郭激動篇』五稜郭タワー株式会社、2011年、5頁。

*6:同書、12頁。

*7:同書、6頁。

*8:同書、23頁。

*9:なお、福沢諭吉『瘠我慢の説』で榎本の政治的態度を厳しく批判しています。

*10:札幌(ひいては北海道)の従属性については、こちらの過去記事をご覧ください。