蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

Trip to Hakodadi (4):沈思の二日目 後篇

前回のおさらい

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コラム ~五稜郭陥落す~

 今回は与太話から始めます。前回の記事で五稜郭を取り上げましたが、五稜郭と言われるたびに私が思い出すのは(もう数十年前のことですが)母の浪人エピソードです。私が幼少の砌から何遍も聞かされてきた話なので、この場を借りて共有(=ブログのネタに)しようと思います。

 私の母は小学校の頃から学校教員になるのが夢で、高校卒業後は教育大学へ進学したいと考えていたそうです。しかし、母は共通一次試験(センター試験の前身)の結果が思わしくなく、北海道出身の母は北海道教育大学札幌校の受験を断念して同大学函館校を第一志望校とすることになりました。母の家庭は所謂「転勤族」で、母自身も高校時代は秋田で過ごしていましたから、受験の際には汽車で秋田から青森まで行き、青函連絡船で函館に渡ったそうです*1

 勿論、当時はインターネットなどありませんから、合格発表は現地での掲示方式になります。しかし、合格発表まで現地に行かなければならないのは流石に不経済ということで、受験生への個別電話連絡というサービスがあったそうです。北海道教育大学函館校の場合、合格なら函館山に日が昇る」、不合格なら五稜郭陥落す」と電話口で告げられることになっていました。なんだか洒落てますよね(ふざけてるともいう)*2。もうオチが見えていると思いますが、合格発表当日に母が耳にしたのは「五稜郭陥落す」というぶっきらぼうな音声だったのでした。国立大学しか受験していなかった母は見事に浪人生となり、一浪の末、東京の私立大学に合格することになるのですが、それはまた別のお話……。

周遊 函館ベイエリア

 さて、気を取り直して函館旅行記の続きを書いていくことにしましょう。11時半過ぎ、五稜郭の桜を堪能した私は、初日から歩き通し・立ちっぱなしで疲れた脚を少しでも癒すため、五稜郭タワー前で観光客を今か今かと待ち構えるタクシーに乗り込み、一旦宿泊先まで戻ることにしました。私が「中央病院前まで」と伝えると、運転手は「中央病院ってあの中央病院ですか!?」と少し驚いた様子。そりゃそうだ、ゴールデンウィークのど真ん中にわざわざ中央病院前で降りる観光客もいないでしょう。

 続けて私が「凄い混雑ですね」と話しかけると、運転手は「例年こんなものです」と冷ややかな対応。タクシーはやや気まずい沈黙の中、道道571号を南下して道道83号に入っていきます。するとどうでしょう、五稜郭周辺の大混雑と大渋滞が嘘のように、目抜き通りはガラガラです。これは函館滞在中にずっと感じていたことなのですが、観光スポットはどこも観光客で大混雑なのに、少し住宅街に入ったり裏路地に入ったりすると、人の気配がまるでなくなるのは不思議です。あれだけの人数がどこに収容されているのでしょうか。湯の川温泉の旅館? 函館駅近郊のホテル? あるいは少し足を伸ばして大沼プリンスホテル? いずれにせよ、中央病院前駅の近郊は函館市電のガタゴトいう音を除いては静かな地区で、三日間あずましく過ごすことができました。

 宣言通り(?)中央病院前でタクシーから降り、宿泊先に辿り着いた私は、ベッドに倒れ込むようにして1時間半ほど仮眠をとりました。仮眠から覚醒し、少しだけ元気を取り戻した感覚を得た私は、再び函館市電に乗り込んで函館港方面へ。二日目の午後、最初の目的地は元町の北側に位置するベイエリアです。

函館ラッキーピエロ ペイエリア本店

 ベイエリア最初の目的地は、知り合いから勧められた「ラッキーピエロ」です。ラッキーピエロご当地バーガー全国第1位に輝いた函館のローカル飲食チェーン店です。ご当地グルメに目がない私としても是非食べておきたい!ということで行ってきました。

 けばけばしい色使いと10年以上前にニコニコ動画で流行った某ピエロより不気味な「ラッキーくん」のマークから禍々しい狂気を感じますが、そんな店頭には長蛇の列。ここでも並ぶ運命からは逃れられないようです。並んでスマホをいじっていると、前に並んでいたタイ人のカップルから「あなた英語できる? あの向かいの駐車場に停めたいんだけど、いくら払えばいいの?」と話しかけられ、何故か有料駐車場の料金体系について説明するハメに。私は東京にいた頃も外国人に道を尋ねられることが多かったのですが、なんでしょう、外国人から見て話しかけやすい雰囲気や顔(?)なのでしょうか。ともあれ函館のような観光地では、なんだかんだ英語が便利なコミュニケーション・ツールであることを痛感させられます(悔しいですが……)。

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 「ラッキーガラナ」と銘打っていますが、中身はただのガラナです。

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 30分ほど店頭に並んで、チャイニーズチキンバーガー特上(税抜440円)を注文すると、店員から「オーダーを受けてから調理しますので、1時間半後にまた来てください」と言われ、この時点で16時頃までお昼抜きが確定ゴールデンウィーク中の函館はメシにありつくのも一苦労です! つらい!

金森赤レンガ倉庫

 店頭のベンチで1時間半待つのもアホらしいので、空腹のままラッキーピエロ本店の近隣をぶらついて時間を潰すことにしました。当初の予定を入れ替えて、金森赤レンガ倉庫をベイエリア最初の目的地に設定しなおします。西波止場を通り過ぎ、函館港を臨むウォーターフロントへ歩みを進めると、並び建つ赤レンガ倉庫群が見えてきました。

 金森赤レンガ倉庫(金森倉庫群)は「明治に建てられた7棟の赤レンガ倉庫をそのまま利用した複合施設の総称」です。広大な敷地は47のショップで賑わうショッピングエリアとして再利用されていますが、数棟はなお現役の営業用倉庫として利用され続けています。この倉庫群を管理・運営するのは金森商船株式会社。金森商船のルーツは、1869年に豊後出身の渡邉熊四郎が函館で創業した「金森洋物店」に遡ります。曲尺に「森」の漢字を合わせたトレードマークは初代(渡邉熊四郎)が考案したもので、創業以来変わらずに受け継がれてきました。現在も倉庫群を訪れる人々を最初に迎えるのは、この独特のトレードマークです。

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 金森洋物店が営業倉庫業を営み始めたのは1887年のことです。1885年2月に三菱財閥総帥の岩崎弥太郎が歿すると、競合関係にあった郵便汽船三菱会社と共同運輸会社(三井財閥など反三菱勢力が共同で出資した船会社)が政府の圧力で合併し、同年9月に日本郵船株式会社(NYK Line)が成立しました。それに伴い、共同運輸会社が利用していた倉庫と土地が不要となったため、かねてより倉庫の必要性を感じていた初代(渡邉熊四郎)は1887年にそれらを買い取り、営業倉庫業を始めたのです。これが金森赤レンガ倉庫の起源となっています。

 1907年8月、金森洋物店の営業倉庫も例に漏れず、函館の大火で6棟が類焼しました。しかし、その後すぐに不燃質素材による再建が始まり、レンガ造りの倉庫が1909年5月に完成、今に至っています。私は運河を眺めながら、今度行く予定の小樽に思いを馳せていました*3。小樽も倉庫街と運河で有名な北の港町ですが、そこにはかつて日本郵船小樽支店も開かれていました。北海道に来て以来、なにかと日本郵船に縁があるなぁ(n=2)と感じています。日本の近代海運業の歴史を辿る旅というのも面白いかもしれません。

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 さて、ウィンドウ・ショッピングをしたり、式場から出てきた新郎新婦を眺めたり、広場で奏でられる音楽に耳を傾けたりしながら時が過ぎるのを待っていたのですが、ここで問題が発生。函館に出発する前に巻き爪気味の足の爪を切り忘れていたため、歩き過ぎで足の親指が痛くなってしまったのです。一刻も早く爪を切らなければならない……。そう思って近隣のドラッグストアをスマホで検索すると、金森赤レンガ倉庫の一角にドラッグストアが入っていることが判明しました。ウィンドウ・ショッピングにとどめるつもりが、結局サッポロドラッグストアー(!)で爪切りを購入するハメに。その後、倉庫の裏路地に座り込んで靴下を脱ぎ、側溝の上で爪を切ったのですが、通行人から不審者のような視線を向けられ、悲しかったです。みんな、旅行に行く前にはきちんと爪を切ろうな!

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ご対面 チャイニーズチキンバーガー

 色々とハプニングはありましたが、時計の針はそろそろ16時を指しそうです。お腹ペコペコで再びラッキーピエロへ向かうと、なぜか呼び出されている引換証の番号が私の番号よりも大きいではありませんか。慌てて店員に引換証を提示すると、どうやら注文から1時間ほどで出来上がっていた模様……。1時間半と言ったのはそっちじゃないか! なにはともあれ、もう待ちきれません。ベイエリアの喧騒を離れて食事を摂るべく、チャイニーズチキンバーガー(テイクアウト)と共に人工島・緑の島を目指します。

 緑の島とベイエリアを結ぶ橋から臨む函館港。

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 緑の島に隣接したヨットハーバー。中学生か高校生の5人組(男3人、女2人)が痴話喧嘩(?)をしていたのが印象的でした。

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 緑の島のベンチに腰掛け、芝生でサッカーをしている若者やひたすら自転車を漕いでいる幼い姉妹を眺めながら、チャイニーズチキンバーガー特上を頬張ります。分厚いバンズと大きなチキンに濃厚な甘辛のタレとチーズ。ガツンと来る美味しさが空腹にはたまりません。潮風に吹かれ、函館山を臨みながらのチャイニーズチキンバーガー体験は僅か数分で終わってしまいましたが、筆舌に尽くし難い感動がありました。美味しいものを食べてこその人生なのです……!

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 なお、市電・十字街駅への帰りがけに新島襄 海外渡航の地碑も見てきました。当時の国禁を犯してアメリカ合衆国に渡った新島も、昨今の世相においては「反日」「売国奴」扱いされるのかな、などと思いました。

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立待岬

 かなり遅めのお昼を済ませると、少し寒くなってきたので、谷地頭温泉で温まってから宿泊先へ戻ることにしました。函館市電には函館どつく前行き(5系統)と谷地頭温泉行き(2系統)の二つがあり、十字街駅で行き先が分岐します*4。本日の最終目的地は谷地頭温泉なので、乗車するのは2系統。市電・十字街駅から函館市電2系統に乗り込み、終点の谷地頭温泉駅へ向かいます。

 函館市電を降りると、このまま谷地頭温泉に直行するのも芸がないなと思い始めました。寄り道したがるのは私の悪い癖です。せっかくなので、対岸の青森県下北半島を臨む可能性に賭けて、最果ての立待岬を目指します。

 立待岬までの道中、住吉町共同墓地を通り過ぎたあたりから臨む函館市街。

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 共同墓地と石川啄木一族の墓を通り過ぎて、駅から歩くこと10分ほど。とうとう函館の最南端・立待岬に到着しました。意外に観光客がいて驚きます。

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 文字通り函館の最南端です。この先に道はありません。

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 南西方向、水平線にうっすらと見えるのが下北半島です。五稜郭タワーからも下北半島を見ることはできましたが、立待岬からはいっそう鮮明に確認できました。写真だとぼんやりとしか写っていませんが、肉眼では対岸の町並みや航行する船もはっきりと視認できます。この日は奇遇にも、大学時代の友人が下北半島を旅行していたので、私は彼のことを思い浮かべながら、遠いような近いような津軽海峡の向こう側を見つめていたのでした。

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 南東方向に見えるのは津軽半島です。いつか機会があれば、今度は青森県側から北海道を眺めたいところ(まだ青森県は未踏なのですが)。

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 立待岬の強風に吹かれてすっかり冷え切った身体を温めるべく、早足で谷地頭温泉へ。谷地頭温泉の土色のあつゆ(43℃)に浸かり、身体の芯までしっかり温まった私は、心地よい疲労感の中で二日目の思い出を反芻したのでした。

 三日目に続きます。

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Appendix

 末広町にある日本最古のコンクリート電柱。脇の看板に「マ○コ」「チ○コ」「クリ○リス」などと落書きがしてあるのが味わい深いですね。

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 大三坂下、函館市電5系統の軌道に面するヱビス商会。「雰囲気いいな」と思って衝動的に撮影しただけなので、詳細についてはよく分かりません。

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gipsypapa.exblog.jp

fkaidofudo.exblog.jp

*1:秋田大学にも教育学部がありましたが、「北海道に戻りたかったのかな」とは母の談。

*2:こうした合格/不合格メッセージは各大学ごとに用意されていたようです。例えば、私の地元の東北大学の場合、合格なら「青葉もゆる」、不合格なら「みちのくの雪深し」と告げられることになっていたとか。

*3:ちなみに、私の母は小学校時代に小樽にも住んでいたことがありましたので、私にとっては、小樽訪問は母の足跡を辿る旅でもあります。

*4:湯の川温泉駅~十字街駅の間はどちらの系統も共通の区間なので、観光客が乗車の際に留意する必要は殆どありません。