蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

Trip to Hakodadi (7/完):生憎の最終日

前回のおさらい

rasiel9713.hatenablog.com

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コラム ~そもそもHakodadiとは何なのか~

 今回で7回目を数える“Trip to Hakodadi”シリーズも、とうとう最終回を迎えました。そこで、最終日の旅行記を書き連ねる前に、タイトルにある「はこだでぃ」について(今更ながら)説明しておこうと思います。既に御存知の方もおられるとは思いますが、「はこだでぃ」とは函館のことです。しかし、Hakodadiというローマ字表記に「えっ、Hakodateじゃないの?」と違和感を持たれる方も多いのではないでしょうか。以下、私がこの連載でHakodadiという表記を用いた理由について簡単に解説していきます。

 実は、Hakodadiというローマ字表記は由緒正しいものです。箱館港に関する詳細な記述があるペリー提督の『日本遠征記』(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan: performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, by order of the government of the United States, New York 1856)*1でも、箱館は一貫してHakodadiと表記されており、「はこだでぃ」という現地の訛りをそのまま音写したことが窺われます*2。同書中で横浜がYoku-hamaと表記されていることに鑑みると*3、現地発音をなるべく正確にlatinizeする方針が取られていたことが分かります*4

 なお、本連載でも再三話題にしてきた函館湾について、本書の執筆を担当したホークスは「広大で美しい箱館湾は、入りやすさと安全性のうえで世界最高の港湾の一つである」(The spacious and beautiful bay of Hakodadi ... for accessibility and safety is one of the finest in the world)と評しています。

The spacious and beautiful bay of Hakodadi, which for accessibility and safety is one of the finest in the world, lies on the north side of the Strait of Sangar, which separates the Japanese islands of Nippon and Yesso, and about midway between Sirija-saki, the northeast point of the former and the city of Matsmai*5.

 本連載は箱館/函館の歴史散歩の側面が大きいため、Hakodadiという古臭い表記をシリーズ名に採用した次第であります。ペリー来航を端緒として、箱館は国際港湾都市として発展を遂げていきますが、当時の船乗りや領事たちが「はこだでぃ」「あこだでぃ」などと発音していたことを想像すると(各方面に失礼ながら)おかしくてたまらないのは私だけでしょうか。それとも、HakodateよりもHakodadiの方が味わい深いと感じる私は、西欧式のオリエンタリズムに呑まれてしまっているのかしら。いずれにせよ、本連載の読者の皆様は話し相手が「はこだでぃ」と言ったとしても笑わないであげてください。ひょっとしたら、身近なその方は江戸時代からタイム・トラベルしてきたのかもしれませんよ!

函館朝市 一花亭たびじ

 さて、いよいよ函館旅行記も最終章です。2017年5月6日、最終日の朝は生憎の曇天。3日間続いた青空もこの日は雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな雲行きです。雨が降り出す前に、JR函館駅の外観を写真に収めておくことにしました。ここまで2日連続で函館朝市に来ているのに、正面からJR函館駅を拝むのはこの日が初めてです。晴天のうちに撮っておけばよかった……。

 函館駅のガラス窓には「開業1周年 北海道新幹線と書かれたはやぶさのポスターが貼られていますが、北海道新幹線のターミナル駅はここ函館駅ではなく新函館北斗駅ですから、何とも便乗感が否めません*6函館駅新函館北斗駅間は快速はこだてライナーで19分かかるため、移動は割と不便な気がします。大沼プリンスホテル滞在を前提とすればそれほど気にならないのかもしれませんが、新函館北斗駅が函館中心街から離れているのは事実のため、北海道新幹線を使って函館に行こう!と思わせる訴求力は弱いのではないかと感じました。

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 なお、函館駅前の赤いモニュメントは“Oyako”という名前だそうです*7。早朝、このモニュメントの下で遊んでいる母子を見かけましたが、この日はモニュメントの名前を知らなかったため、母子がフレームアウトするのを待って撮影してしまいました。今思えば“Oyako”という名前にひっかけて、微笑ましい光景を残しておいても良かったかもしれませんね。後悔先に立たず。

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 さて、ここまで函館駅の話題を続けてきましたが、函館駅舎を撮影・見学するのが主目的というわけではありません。函館最終日の朝も勿論、函館朝市で海鮮丼を食べるために早起きしたのです。私が最終日の朝食に選んだのは、一花亭たびじの活いか踊り丼(税込1,790円)です。

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 私の写真ではガイドブックや公式サイトに掲載されている写真よりもイカが小さく見えるかもしれませんが、その理由は1~5月に水揚げされるのが足の短いヤリイカであるためです。丼の縁まで足を広げるスルメイカのスペクタクルを見たい場合は、6~12月に函館を訪れる必要があります。

 そして、一花亭たびじの活いか踊り丼の魅力は、先程まで水槽を泳ぎ回っていたばかりの新鮮なイカに醤油をかけると、その刺激でイカが動くという点にあります。やや惨酷な気もしますが、「イカが丼から逃げ出そうとする」ということで観光客にウケているようです(下掲動画を参照)。

 私が食べたのはスルメイカではなくヤリイカだったので、予想していたほどダイナミックな動きは見られませんでしたが、函館名物を見る&食べることができて満足です。食事を済ませて外に出ると、天気予報通りの土砂降りに。慌てて函館駅舎に駆け込み、駅舎内のセブンイレブンでビニール傘を購入しました。

道南いさりび鉄道線 渡島当別駅

 とうとう函館旅行も最終日。もう宿泊先には戻りません。3泊4日分の荷物とお土産が詰まったキャリーケースを函館駅のロッカーに預け、この日最初で最後の目的地、灯台の聖母 トラピスト修道院へ向かう覚悟を決めました。

 トラピスト修道院の最寄り駅は道南いさりび鉄道線渡島おしま当別とうべつ函館駅渡島当別駅間の所要時間は約45分で、トラピスト修道院渡島当別駅から徒歩20分ほどの山奥に建っています。さらに時刻表を見れば一目瞭然、7:04函館発→7:44渡島当別着の次発は10:40函館発→11:24渡島当別着の上り列車。帰りも12:53渡島当別発→13:34函館着の下り列車に乗らないと、札幌行きの特急に間に合わないという始末で、一歩間違えば帰れなくなる危ういスケジュールです。その上、この日は強い雨が降っていましたから、修道院訪問を取りやめにする理由は無数にありましたが、「次にいつ来られるか分からない」という思いがそれを許しませんでした。私が高校生の頃に放送していた山下智久主演の『プロポーズ大作戦』(2007年)という月9ドラマで「明日やろうはバカ野郎だ」という台詞がありましたが、それを思い出しましたね(この台詞が常に正しいとは言ってない)。

 現在時刻は8:15。次発まで2時間以上もあります。私は先に切符を買い、電源を求めて函館駅前のカフェに避難することにしました。

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 ココアで暖を取りながら、カフェで函館旅行記・初日後篇の冒頭部を書いていると、あっという間に2時間が過ぎ、慌てて函館駅に戻りました。10:30過ぎに函館駅のホームに滑り込むと、既に道南いさりび鉄道の車両が2両編成で待機していました。山吹色と紺色のコントラストが鮮やかです。道南いさりび鉄道旧JR江差線の経営を引き継いだ第三セクターの鉄道会社です。以下、簡単に道南いさりび鉄道線の成り立ちを整理しておきます。

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 2014年5月12日、JR江差線木古内駅江差駅間(42.1km)は78年の歴史に幕を閉じ、廃線となりました。そして2015年3月2日、JR北海道北海道新幹線開業に伴い、JR江差線五稜郭駅木古内駅間(37.8km)の廃止届を国土交通省に提出しました。その後、JR北海道から経営分離された五稜郭駅木古内駅間の経営を引き継いだのが、第三セクター道南いさりび鉄道です。この区間を巡る詳細な経過については説明を割愛しますが、最終的に2016年3月26日、五稜郭駅木古内駅間が道南いさりび鉄道に移管され、道南いさりび鉄道線として復活したことをご理解頂ければ充分です。

 道南いさりび鉄道の車両はJR函館駅まで乗り入れており、(上磯駅止まりを除けば)函館駅から木古内駅まで乗り換えなしで行くことができます。道南いさりび鉄道の車両内装には「おかえりなさい」「また乗りに来ます」といった手書きのメッセージが多数残されており、道南の人々や鉄道ファンの暖かな思いで溢れていました。しかし、暖かな思いだけで経営が成り立たないのも事実でありまして、JR北海道の直面する厳しい現実(人口減少・流出など)を突きつけられたようで暗い気持ちになりました。ただ、一人の観光客として開き直れば、上磯駅を過ぎてから見られる、函館湾沿いギリギリを走っていく際の景観は目を見張るものがありました(写真はうまく撮れず)。晴天の日であればなおさら風光明媚だったことでしょう。これは偽らざる私の本音です。

 さて、函館駅から約45分で渡島当別駅に到着です。「トラピスト修道院入口」という副題が明解ですね。ここで降りている人、全然いませんでしたけど……。

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 渡島当別駅舎は渡島当別郵便局と一体化しています。現在道南いさりび鉄道ロゴマークが貼られている位置には元々JRのロゴマークが貼られていたので、更新履歴がまるわかりで何だか面白いなと思いました(名状しがたい感情)。

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 駅前に建っていた観光案内板。これを見ていると、北斗市自体にはロクな観光施設がない上に、「江差まで車で2時間」「松前まで車で2時間」と他の地方公共団体の観光情報まで書いてあるため、「この看板を建てた意味とは……?」と微妙な気持ちになります。また、ホキホキ言ってる謎のゆるキャラも不安感を掻き立てるのでやめてほしいなと思いました。

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灯台の聖母 トラピスト修道院

 気を取り直して、目的地の灯台の聖母 トラピスト修道院を目指して歩いていきましょう。トラピスト修道院(Tobetsu Trappist Monastery)は1896年、上磯・当別に創立された日本最初の男子修道院です。函館旅行初日に訪れた上湯川のトラピスチヌ修道院と同じく厳律シトー会に属しており、「祈り、働け」(ora et labora)というモットーに相応しく、道南の市街地から遠く離れた丘の上に建っています。また、トラピスト修道院は函館土産として有名な「トラピストクッキー」の製造所でもあります。1936年の製造開始以来、修道士たちは日々の労働の一環としてクッキーを製造し続けてきました。消費者目線からすればコンスタントに美味しいクッキーが供給されるのは嬉しいですし、これほどwin-winなお土産もなかなか見当たらないのではないでしょうか。

 道中記に戻りましょう。朝から降り続いた雨も上がり、空から光が差してきました。止まない雨はない。それにしても自動車も人も全くと言っていいほど通りません。「祈り、働け」(ora et labora)をモットーとした厳律シトー会がこの地に修道院を創立したのも頷けます(※個人の感想です)。

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 道南いさりび鉄道の線路沿いに松前国道を木古内方面へ暫く歩いていくと、山の中へ続く脇道が見えてきます。「石別中学校」への案内板を目印にしても良いと思います。この脇道こそがトラピスト修道院への一本道です。一本道を進んでいくと「ローマへの道」と書かれた立て札がお出迎え。この立て札はOmnes viae Romam ducunt(すべての道はローマに通ず)という格言を彷彿とさせます。

 「永遠の都」ローマは、聖ペテロのローマ殉教伝説とマタイ16:18-19の解釈に基づき、中世を通じてローマ司教たる教皇papa)の権力と結び付けられてきました*8宗教改革によってカトリック教会がキリスト教会の一部分社会に過ぎない存在となった今日においても、カトリックにとって「ローマへの道」は「聖ペテロの代理人」(representative of St. Peter)への道であり続けているのでしょうか*9。「聖ペテロの代理人」の向こう側に主がおわすとすれば、「ローマへの道」は「主への道」でもあります。この立て札を「キリストの墓」(青森県新郷村と同列に扱って一笑に付すことは簡単です。しかし、「ローマへの道」に含意される深遠さに思い至ったならば、宗教の力というものをもう少し客観的に認めることができるのではないでしょうか(異教徒並の感想)。

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 トラピスト修道院に向かって一直線に伸びる舗装道路。静まり返った「ローマへの道」は端を歩かせる厳粛さで満ちていました(※神社の参道ではない)。

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 「ローマへの道」を一歩一歩踏みしめて歩いていくと、急に視界が広がり、青々とした牧草地が目に飛び込んできました。トラピスト修道院環境緑地保護地区」の美しい景観に心が洗われる思いでしたが、人間の欲望にはきりがないもので、晴天であればなお美しかっただろうにと求めてしまったのも事実です。

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 道路両側に植栽されたポプラとスギの並木(植栽は昭和35年=1960年頃)。毎年スギ花粉症に悩まされている私としては、雨模様でよかったとも感じられます。……晴天を望むのか雨模様に甘んじるのかはっきりしろ、私!

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 「ローマへの」並木道を通り抜けると、トラピスト修道院のゲートへ続く階段脇の草むらに石碑が立っているのを認めました。興味をそそられたので、ゲートを参観する前に少し寄り道をして石碑を読むことにしました。草むらの奥に佇む石碑には以下のように刻まれています*10

日は輝やかに 沈黙し

時はおもむろに 移り行けり

美しき地上の 断片の如く

我命は 光の中に いきづく

 

露風

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 この石碑は「赤とんぼ」の詩人三木露風の詩碑です。「赤とんぼ」の詩人として知られる三木露風は、初代修道院長・岡田普理衛*11の招きに応じ、1920年5月~1924年6月まで夫人を伴って文学講師としてトラピスト修道院に着任しました。「赤とんぼ」や「野ばら」は当別居住中に書かれたものです。なお、三木露風夫妻は1922年の復活祭に岡田普理衛修道院長の司式で受洗し、カトリック・クリスチャンとなっています。私自身の勉強不足とはいえ、三木露風トラピスト修道院の意外な関係を知ることができ、勉強になりました。

 正午を迎えると、「赤とんぼ」のメロディーが修道院の敷地内に響き渡りました。いや、正確には「赤とんぼ」のメロディーが聞こえた気がしました。あれは一体何だったのでしょう。後日調べても、正午に修道院で「赤とんぼ」のメロディーが流れているという他の証言を発見できなかったため、私の空耳だった可能性もあります。ひょっとしたら、あの時鳴っていたのは私の心の鐘だったのかもしれません。俺のベルが鳴る(CV: 保志総一朗)。

 渡島当別駅から30分近く歩き続け、既に息が上がっている私には、トラピスト修道院のゲートへ続く急勾配の階段は最後の試練のように思われました。12:53迄に渡島当別駅へ戻らないと函館(ひいては札幌)へ帰れなくため、復路の所要時間に鑑みてものんびりしている時間はなかったからです。疲弊した身体に鞭打ってなんとか高台のゲートへ到達すると、ゲートの前で座り込んだ幼児を叱りつける母親の姿が……。「どうしてそういうことするの?」「そういうことしないって約束したよね?なんでできないの?」と幼児を責め立てる母親を見ていると、こんな辺鄙な所まで来てキレることもないだろうと愕然たる思いを抱かざるを得ません。ゲート前でキレられると撮影の邪魔なので、スマホを構えたまま微動だにせず、無言の圧力を加えていると、それに気付いた母親は脇道へずれてからキレるのを再開してくれました。これは研究室でも職場でもフロアでも言えることですが、キレる前にTPOを弁えた方が見苦しくないと思います!

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 固く閉ざされた修道院のゲートには、“MONASTERIVM BEATAE MARIAE VIRGINIS DE PHARO”(灯台福者処女マリアの修道院)の文字と2つの聖人像が据え付けられていました。向かって左側が聖ベルナルドゥス(クレルヴォーのベルナール)、右側が聖ベネディクトゥスの像です。厳律シトー会の魂が確かに当別の地に引き継がれていることが、こうした装飾形式から分かります*12。男性であれば、往復はがきで事前申込をすると修道院内部に立ち入る許可が得られるのですが(女人禁制のため女性は入場不可)、今回は突発的な訪問のためゲートまでしか観ることはできません。私はともかく、シトー会研究者の大貫俊夫先生(id:barbarossa0728)には、今後の研究生活の中で是非一度は足を運んでほしい/運ぶ価値のあるスポットですね。なお、時間と体力の制約から「ルルドの洞窟」の見学は断念しました。

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 トラピスト修道院の敷地内にあるカトリック当別教会。現在の教会は奥尻地震の後、1995年に再建されたものです。トラピスト修道院は観想修道院のため、原則として小教区を司牧することはできませんが、当別トラピスト修道院は敷地内に教会を備えることが例外的に認められているそうです*13

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 渡島当別駅への復路、一面の牧草地を眺めながら「世俗を捨てるとはどういうことか、修道院とは何か」と考えました。2012年夏、当時法学部の4年生だった私は、研究職大学院への進学に失敗しました。途方に暮れて進路に悩んでいた私に、或る老教授はこう言いました。修道院に入る思いで、法科大学院へ進学したらどうか」。元々私は法曹になろうと思って法学部に入学したわけではなかったので、老教授の助言はすぐに退けたのですが、今思えばあの発言は修道院関係者にとっても失礼極まりないものだったのではないかと思います。法科大学院の現状に鑑みると、この専門職大学院とやらを修道院と同列に扱うのはおこがましいにも程があり、比喩としても不適切だったと言わざるを得ません。若者が大人に反逆するのは、若者が世間知らずで未熟者だからではない。若者が納得するような話し方を大人ができないからなのだ。そんな風に思いました。

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 丘を下って渡島当別駅へ戻ります。

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 帰りの電車に乗る前に、男爵資料館の跡地にも足を運びました。男爵資料館は、男爵いもの生みの親・川田龍吉男爵(1856~1951)に関する私営資料館でしたが、建物老朽化に伴い2014年3月から無期限休業となっています。なお、川田龍吉男爵は1948年、92歳にして当別教会で受洗したことでも有名です(洗礼名ヨゼフ)。トラピスト修道院を軸として紡がれる人々の物語をもっと知りたい。そんな気持ちにさせられました。

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 さらば、渡島当別駅。また会う日まで。

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函館麺屋 ゆうみん

 13:34に函館に戻った私は、すっかり冷え切った身体を温めるべく、函館ラーメンのお店に入ることにしました。とはいえ、トラピスト修道院の弾丸ツアーで身も心も疲れ果て、食欲もあまりなかったため、ガッツリ系のラーメンは正直きつい。あっさり系のラーメンはないものか? そう思って最終日の昼食に選んだのが、函館麺屋 ゆうみんの塩ラーメン(650円)です。透き通った黄金の塩スープは胃にも優しく、疲れた身体に染み渡っていくような味わい深さがありました。飽きのこない、程良い一杯だと思います。

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旅の終わり ~函館旅行 総括~

 さて、3泊4日に渡る函館旅行も全行程が終了。あとは札幌へ帰るだけです。帰りは飛行機ではなく特急・スーパー北斗15号。3時間45分の長旅(※個人の感想です)となるため、途中で電子機器のバッテリーが切れて暇にならないよう、電源目当てでグリーン車を取りました。車窓からの写真は撮りませんでしたが、車掌の巧みなアナウンス付きで刻々と変化する景色を楽しみつつ、快適に札幌まで過ごすことができました(苫小牧駅を過ぎたあたりから飽きてきたのは内緒)。

 大沼公園駒ヶ岳、内浦湾沿い、臨海工業地帯、太平洋沿い、市街地……。函館駅~札幌駅間は様々な顔を見せてくれる面白い区間でした*14北海道はでっかいどう。当たり前ですが、道南・道央には複数の地域性や景観が散らばっています。私が一生のうちにそれらを一つ一つ精査する時間はないと思いますが、せめて各々の街/町は各々の歴史を持っており、各々の歴史が交錯しながら北海道の歴史が織り上げられてきたということは忘れずに生きていきます*15

 特に函館は、札幌が「リトル東京」と呼ばれる所以について考える上で、どうしても外せない港湾都市です。かつて蝦夷地/北海道最大の国際港湾都市として知られた函館は、都市としての規模では札幌のみならず旭川にも抜かれ、人口流出が止まらない観光都市に縮減しているのが現状です。函館に対する私見はこれまで散々書いてきたので繰り返すことはしませんが、函館の或る意味での「凋落」が札幌一極集中(いわば札幌ファースト)の裏腹であり、歴史の堆積を経て構造化された事象であることは否定できないでしょう。北海道を知るためには個々の街/町を知らなければならず、個々の街/町を知るためには北海道、もとい北海道庁の置かれた札幌を知らなければならない。この無限往復こそが歴史を学ぶ醍醐味である……。そんなことを再確認した函館旅行でした。(終)

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Appendix

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*1:『日本遠征記』については、Google Booksに原文が上がっています。適宜参照ください。

*2:Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan: performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, by order of the government of the United States, New York 1856,  p. 497sqq.

*3:Ibid, p. 401.

*4:ただし、Ibid, p. 523には、“Von Siebold states that sixty-eight square-rigged vessels were counted by the Japanese as passing Hakodadi and Matsmai in one year, and probably nearly all these were American, and most of them engaged in the whale fishery. Von Siebold, moreover, significantly adds, "and not one daring to approach the shore within gunshot." The treaty has, however, dispelled these alarms, and American vessels are now secured a safe retreat and a place for obtaining necessary supplies.”とあり、執筆者がフォン・ズィーボルト(シーボルト)の記述を読んでいたことが分かる。HakodadiやMatsmaiといった表記はフォン・ズィーボルトのlatinizationに従ったものである可能性もあるが、この点については未調査。

*5:Ibid, pp. 498-499.

*6:新函館北斗駅があるのは函館市ではなく北斗市です。

*7:函館市観光案内所のブログを参照。

*8:「我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。我天國の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり」。この有名な箇所(マタイ16:18-19)ではバルヨナ・シモンがペテロ(Petrus)と呼ばれ、磐(petra)という単語との類似性が示されています(「ペテロ」はいわば「いわお」君です)。次に、主が「この磐の上に我が教會を建てん」と言ったとする福音書の記述から、ペテロが使徒の首席であったという解釈が導かれます。こうした聖書解釈にペテロがローマで殉教したという伝説が付け加わり、ペテロが初代ローマ司教となったとする系譜が生み出されました。ペテロに与えられた「天國の鍵」の力はローマ司教、すなわち教皇の手から手へと継承されるとされているため、しばしば教皇の権力を基礎づけるロジックとして用いられました。

*9:この用語法はG. Barraclough, The Medieval Papacy, London 1968に従いました。

*10:なお、石碑の解読は私自身で行ったわけではありません。石碑の脇に設置されていた活字体の解説パネルの内容に従いました。

*11:本名ジュラール・プゥイエ(Gerard Peuillier, 1859-1947)。1900年に日本人信徒であった大工の岡田初太郎の養子となり、岡田普理衛に改名。

*12:12世紀に活躍した聖ベルナルドゥスは、実質的にシトー会の最重要拠点となったクレルヴォー修道院の経営を任された人物であり、聖ベネディクトゥスはシトー会士が遵守する修道戒律(ベネディクトゥス戒律)の生みの親です。この2聖人がシトー会にとって極めて重要な人物であることは疑いありません。

*13:この点については、http://johanna.catholic.ne.jp/rita.htmを参照。

*14:ちなみに区間の面白さの話になると、私はいつもJR東北本線郡山駅~仙台駅間の退屈さを引き合いに出してしまいます(どうでもいい情報)。鈍行帰仙の場合、黒磯駅新白河駅間がクライマックスで、それ以降は惰性でしかないので退屈になるのは私だけでしょうか……。

*15:ここにいう「歴史」は、住民にとってのnational historyと解釈していただいても、街/町自体の「物語」(=histoire, Geschichte)と解釈していただいても結構です。明晰な用語法を阻むような何かが、ナマの旅行体験には潜んでいるような気がします。「職業歴史家」と「歴史好き」が二項対立的に扱われる時、その背後には俗っぽい経験主義を巡る価値判断が控えています。私は「職業歴史家」が「歴史好き」に歩み寄る一つの契機として、旅行体験を位置づけることができるのではないかと、現時点では考えています。