蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

礫岩のような千葉(1):頼朝伝説と行基伝説を訪ねて

はじめに

 2017年10月7日~9日にかけて、千葉県・房総半島を周遊してきた。札幌から東京に帰還して最初の連休、どこをツーリングするかは悩ましい問題だった。関東圏で行ったことのない場所、しかも公共交通機関では行きにくい場所を見繕った結果、最終的に奥多摩房総半島の二択が残った。そして、折角の3連休ということで、日帰りが大変な房総半島を行き先に選んだのだった。今回は姉崎のホテルに2泊し、房総半島ツーリングの拠点として利用することに決めた。

 10月7日は昼頃まで雨が降っており、出発が遅れることになった。また、連休初日で東京湾岸道路から千葉街道にかけて大渋滞が発生しており、姉崎に到着した頃には既に15時半を回っていた。そのため本格的なツーリングは翌日に譲ることにして、この日は木更津の龍宮城スパでのんびり過ごしてからホテルに戻った。さて、今回のエントリは10月8日の出来事を写真と共に振り返るものだ。この日のルートは、姉崎から養老渓谷を抜けて勝浦へ向かい、時計回りに外房と内房を巡って姉崎に帰還するというもの。順を追って、ルートの途中に点在する観光スポットや美味しいお店を紹介することにしたい。

養老渓谷 有名スポット巡り

 姉崎からSEROWを走らせること1時間、房総半島の中央部に位置するのが養老渓谷だ。養老渓谷は房総随一の温泉郷であり、キャンプ・紅葉狩り・トレッキング・寺社巡りなど様々な楽しみ方ができる魅惑のエリアだ。かく言う私も、房総半島ツーリングのために調査するまでは養老渓谷の名前を聞いたこともなかったが、実際に行ってみるとなかなか風光明媚な場所だったため、ここで紹介したい。なお、公共交通機関を使う場合は、五井駅から小湊鐵道で来られる。

小湊鐵道 養老渓谷駅舎

 時刻は7:42。峠の朝は寒く、1時間SEROWを走らせるだけですっかり身体が冷えてしまい*1小湊鐵道・養老渓谷駅前のロータリーで一休みすることにした。

 養老渓谷駅舎。流石に休日の早朝だと誰もいない。駅舎に隣接する足湯があったが、当然ながらこの時間は閉まっていた。コルゲンコーワのケロちゃん・コロちゃんのパネルが、観光地であることを強く意識させる。秘境駅ファンには物足りないだろうが、房総半島初心者の私にはちょうどよい、ひなびた絵面である。

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 少しずつ太陽が照ってきて、身体が暖まっていく。やはり太陽は偉大である。元気を取り戻したところで、養老渓谷の有名スポットへ向けて出発しよう。

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養老山 立國寺

 さて、養老渓谷駅から県道81号線を南下していくと、廃墟と化した旅館や入口にロープの張られた駐車場の並びに、突如として赤い橋が現れる。養老川にかかるその橋こそ観音橋であり、養老山 立國寺への入口をなしている。

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 観音橋の橋脚には水位を示す目盛りが付いている。昨日までの雨で養老川は濁流と化しており、橋脚の流木が自然の猛威を感じさせた。

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 観音橋には日光の神橋のような言い伝えはないのだろうか、と気になる。神橋については、日光を開いた勝道上人が両岸絶壁の大谷川に阻まれた時、護摩をたいて神仏の加護を求めると、深沙じんじゃ王が現れて2匹の蛇を放ち、蛇の背中から山菅が生えて橋になったという言い伝えがある。立國寺の縁起からして何かありそうなものだが、現時点ではきちんと調査できていない。

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 境内までの参道には意識高い系学生やブラック企業が好きそうな看板が乱立。

 【参考】失敗は努力を呼ぶ。だから、成功を呼ぶ。(東京海上日動

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 【参考】休まない! 愚痴らない! 考えない! いつも感謝!(I-1 club)

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 【参考】感謝報恩の念は吾人に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難をも克服するを得真の幸福を招来する根源となるものなり(パナソニック

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 少ない例を恣意的にサンプリングしたとはいえ、こうして見ると、いかに日系企業(というか世間?)が似非宗教的なスピと親和性が高いか、分かりそうなものである。宗教家と民間で資本主義的な競争をしなければならないとは、こんなところまで合衆国の真似をしなくても良いのだが(雑な感想)。

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 昨日までの雨で濡れた岩肌。滴り落ちる水のために参道も水浸しだ。

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 参道は途中がトンネルになっている。本当にこの先に寺院などあるのだろうか? そんな不安に駆られながら、一歩一歩涼しい山中を進んでいく。

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 トンネルを抜けても、しんどい看板が続いている(後半は比較的まとも)。

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 しとどに濡れた石段を登りきって、立國寺の境内に到着。

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 立國寺の縁起は源頼朝に遡るという。頼朝が以仁王の令旨を受けて挙兵し、石橋山の戦いで大庭景親に大敗を喫して安房に逃れた後、この地に持参した観音像を祀り、三日三晩戦勝祈願をしたとの言い伝えが残っているそうだ。安房・上総で再起を誓った頼朝はその後周知の通り、平氏と奥州藤原氏を滅ぼしてただ一人の武家の棟梁となる。こうした頼朝の「出世」にちなんで、この地に鎮座された観音像が「出世観音」と呼ばれるようになったとの事である*2

 現役の出世観音はこちら。金ピカでやたらと派手。パワースポットマニアにはそこそこウケそうな胡散臭さである(と言いつつ、私も偶像に手を合わせた)。頼朝が実際にこの地で戦勝祈願をしたのかどうかはともかく、頼朝と結びついたこの寺の縁起がどのように形成されたのかは歴史的検討に値する。立國寺の創建や開山について、詳細不明のため、識者にコメント頂きたいところだ。

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弘文洞跡

 立國寺を後にして、時刻は8:30。次の目的地は弘文洞跡という景勝地だ。遊歩道の入口では沢蟹さんがお出迎え。不思議な感激を覚えて思わずパシャリ。

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 昨日までの雨で養老川は増水。飛び石のすぐ下まで水位が上がっていた。実際、前日は水位が飛び石を超えていたため、立入禁止になっていたことを遊歩道入口の貼り紙で知った。死の恐怖を感じながら、滑る飛び石を一歩ずつ渡った。良い子は真似しないこと!

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 濁流と化す養老川を横目に、遊歩道を歩いて行く。

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 二箇所目の飛び石は、一箇所目よりもさらに危険度が増していた。水位が一つ目の石の上1~2cmまで来ており、ライディングブーツの浸水と足を滑らせての転落が心配だった。こんなところで川に落ちても誰も助けてくれないので、今考えれば無謀過ぎる川渡りであった。良い子は真似しないこと!(二度目)

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 ぬかるんだ遊歩道を進むこと10分ほどで弘文洞跡に到着。元々この場所は養老川の支流・夕木川(別名:蕪来川)を「川廻し」して造った隧道だったが、1979年5月24日未明に隧道の頭頂部が崩落し、渓谷のような地形となって今に至っている。増水していなければ清流釣りを楽しめる名所としても知られている。

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 なお、このアングルで撮影するためには河畔まで降りなければならないが、この日は泥の斜面と水に濡れた石が滑りやすくなっており、うっかり川に転落しそうな状況であったため、大変肝を冷やした。良い子は真似しないこと!(二度ある事は三度ある/仏の顔も三度まで)

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 参考までに崩落前のYouTube動画を紹介しておく。大多喜町のウェブサイトでも崩落前の姿を確認することができる。

www.youtube.com

 余談だが、弘文洞跡から近隣の駐車場に戻ってくると、朝の時点では無人だったのに管理人が出勤しており、目聡く駐車料金を徴収されたのだった。

潮風薫る町、勝浦 ~勝浦今昔~

 養老渓谷を後にして、千葉県南東部の海沿いに位置する勝浦を目指す。この時は大体の方向感で気ままに走ったため、どのルートを使って勝浦に辿り着いたのか全く覚えていないのだが、ともあれ10時頃には快晴の勝浦に到着した。

八幡岬公園

 まずは勝浦湾を望む絶景スポット、八幡岬公園から散策することにした。八幡岬公園はかつて勝浦城が建っていた要衝である。

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 「やがて海が見える さみしがり屋達の伝説さ……」と思わず口ずさんだ。

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 公園奥の展望台に建つのは養珠院於萬の方の銅像。萬は1577年、上総国勝浦城主・正木頼忠の姫君として生まれた。1590年に豊臣秀吉によって小田原城が陥落すると、勝浦城も本多忠勝らの軍勢に攻められて落城の憂き目を見た。当時14歳の萬は母と幼い弟を連れて、八幡岬東側の高さ40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、海路で伊豆韮山へ逃れたと伝えられる。これを「於萬の布ざらし」という。その後、萬は徳川家康に見染められ、1593年に家康の側室となり、頼宣(紀伊徳川家の祖)・頼房(水戸徳川家の祖)の二児をもうけた。このため、萬は光圀(いわゆる水戸黄門)の祖母にあたる。

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 八幡岬の断崖。

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 どこまでも青い空、青い海。

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 実は八幡岬公園から、海の中に浮かぶ鳥居を見ることができる。これは遠見岬神社の鳥居である。元々遠見岬神社の社殿はこの富貴島に建っていたが、1601年の津波で島が海中に沈んだ。現在はシンボルとしての鳥居のみを岩礁に残し、社殿は半島側に移築されている。何とも不思議な光景である。

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 なお、拡大して見ると、サーファーらしき人影が岩礁の上に認められる。

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勝浦タンタンメン@DiningBar RAGTIME

 八幡岬公園の絶景を小1時間楽しんだところで、お腹がすいてきた。勝浦といえば、勝浦タンタンメンというB級グルメが有名だ。とにかく辛いものが苦手な私だが、折角なのでチャレンジすることにした。勝浦に30店舗以上ある正規取扱店の中で今回訪れたのは、DiningBar RAGTIME。11時開店凸で一番乗りをキメた。オシャレなイタリアンレストランで、一見すると勝浦タンタンメンを提供しているようには見えないが、果たしてどうなるのか。

 太平洋を望む、最高感あるロケーション。店員さんの雰囲気も小洒落ている。

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 一番乗りということもあり、スムーズに料理が提供された。いただきます!

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 今回注文したのは、勝浦タンタンメンの辛さ控えめ(¥840)。RAGTIMEでは辛さを3段階から選べるが、私は無難に辛さ控えめを選択。まずは一口スープを啜る。辛さ控えめでも私には結構辛いが、玉ねぎの甘さのおかげで箸が止まらない。汗をかきながら20分ほどで完飲してしまった。玉ねぎのみじん切りとひき肉を特製ラー油が効いた真っ赤なスープで味わえる勝浦タンタンメン、端的に旨すぎた。辛いものジャンキーはもっと上の段階で汗をかいてほしい。

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日本一の磨崖仏 鋸山日本寺

 勝浦タンタンメンに満足したところで、この日最後の目的地である鋸山日本寺へ移動を開始。アクションカムを持っていないため、道中の撮影ができないのは残念だったが、快晴の外房黒潮ライン(国道128号線)を潮風を受けて走るのは最高だったと書いておこう(ベタな感想)。途中、鴨川シーワールド付近で大渋滞に巻き込まれ、鋸山の直前でも駐車場への長蛇の列で足止めを食らうなど、房総半島の貧弱な交通に悩まされたが、13:20に鋸山ロープウェー山麓駅に到着。渋滞がなければ1時間半ほどで移動できる距離だったとは思う。

 私が鋸山に興味を持ったきっかけは、いとうあいかさんの地域活性化応援番組『110サーチ』だ(下掲動画を参照)。

 いとうあいかさんはMagical♥Honeyとして活動していた頃から、推しのNEXT少女事件・舞姫と仲良くしてくれた関係で知っており、『110サーチ』も超不定期更新ながら観ていたのだが、意外に構成がしっかりしていて面白かった。今回の房総半島ツーリングに際して、絶対に外せない目的地に鋸山を設定したのも、この番組が面白かったからだろう。

 さて、先にロープウェーのチケットを買うよう列整理のスタッフに指示されたため、往復運賃(¥930)を支払って列に並んだ。3連休中日ということもあり、完全に大人気コンテンツと化していて限界である。この時、私は知らなかった。前方に並んでいる外国人観光客の女性と一緒に鋸山を回ることになるとは……。

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 なお、この時点では「綺麗なおねーさんがいるな、一人なのかな?」とは思ったものの、当然ながらいきなり話しかけることはしなかった。私のこれまでの観察では、観光地に来ている女性の大半は彼氏/女友達同伴のため、迂闊に声をかけると痛い目に遭いかねない。知らない人に声をかけるのはダメで元々。「旅の恥はかき捨て」で済ませるためには、お互い単独行動である方が良いのである(謎の持論)。私が見境のないナンパ師ではないことをご理解いただきたい。

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 件の女性とは別のゴンドラに乗り込み、標高329mの鋸山山頂まで一直線。

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 下りのゴンドラとすれ違う。高度が上がるにつれて、三浦半島・久里浜と房総半島・金谷の間に広がる浦賀水道を一望できるようになる。

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 なお、久里浜~金谷間は東京湾フェリーが運行しているため、うまく利用すれば大幅なショートカットが可能である(今回の旅行では利用していない)。

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 展望台からの眺望。

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 鋸山山頂。小さな虫の群れが飛び回り、写真を撮る観光客たちに攻撃(?)を仕掛けてはキャーキャー声を上げさせていた。そんな群衆の中に、件の女性は一人佇んでいた。虫を払い除けながら“Oh my God”とひとりごちる姿が印象的だった。

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 山頂から石段を下って、地獄のぞき日本一の磨崖仏を観るために鋸山日本寺の入場口へ向かう。すると、件の女性が西口管理所の前で、パンフレットとにらめっこしながら周囲をキョロキョロと見回しているのを認めた。困っていた様子だったので、1~2分の逡巡の末、声をかけることにした。“May I help you?”

 彼女は一瞬こわばった表情を見せたが、「Valley of Hellにはどうやって行けばいいの?」と流暢なAmerican Englishで訊いてきた。私は「この道をまっすぐ行けばValley of Hellに着く」旨を伝え、「貴女の名前は? どこから来たの?」と会話を続けた。彼女(Jさん)はWashington, D.C.で暮らす女子大生で、大学では政治学と社会学(politics & sociology)を専攻しているらしい。このセメスターはホームステイをしながら日本を旅行しているとの事。鋸山というチョイスは渋いなと思ったが、インバウンド観光客向けのパンフレットやガイドブックで紹介されていたりするのだろうか(未確認)。こうしてだいぶ打ち解けたところで、Jさんに“Okay. Let's go”と持ちかけ、一緒に鋸山を回る了承を貰った。ようやく、Jさんからも笑顔がこぼれるようになっていた。

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 石段を登りながら、今度は私の大学時代の専攻について話をした。西洋中世史を専攻していたことを伝えると、驚いた様子で「どうしてそれを勉強しようと思ったの?」と訊かれた。西洋中世史の学部講義で衝撃を受けてそのまま専攻にしたことを話しながら、西洋中世史を研究するにはラテン語(史料言語)のみならず、研究文献の読解に複数の欧語(最低でも英・仏・独語)が必要となるため、一般的に日本人にはハードルが高いことを伝えた。Jさんは興味深そうに私の話に聞き入っていた。Jさんは「貴方の英語は上手。日本でここまで話せたのは初めて」とお世辞のようなことを言った。

 私は大学時代、フランス語の先生から「とにかく大事なのは発音。発音さえ良ければ、稚拙な内容を話していてもそれなりに聞こえるものだ」と指導されたことを思い出した。私は英語でさえ語彙が貧弱なため、ヴィヴィッドな表現を多用することはできないが、発音だけは昔から褒められることが多かった。「貴方の英語は上手」というのは、英語母語話者の耳に馴染む音声を私が発していたということなのかもしれない。今後も発音にはこだわっていく所存である。

 さて、鋸山日本寺(正式名称は乾坤山日本寺)は、日本寺の公式見解によれば、725年6月8日に聖武天皇の詔勅を受けて行基が開いた関東最古の勅願所であるとされている。朝廷は当初、僧尼令違反(民間布教と私度僧の引き連れ)のかどで行基に弾圧を加えたが、聖武治世(724~749年)に入ると態度を変えることになった。疫病の流行や地方での叛乱が相次ぐ中、聖武が鎮護国家思想のもと国分寺建立の詔(741年)や大仏造立の詔(743年)を発したことは有名だが、行基は大仏造立の勧進のためにその農民動員力を買われたのである*3

 しかし、聖武と行基の蜜月関係が聖武即位後すぐに実現したと想定するのは難しい。というのも、725年時点で政治の実権を掌握していたのは長屋王だったからである。長屋王は養老六年禁令(722年7月)の主唱者でもあり、行基の活動に弾圧を加えた張本人でもあった。実際、行基は禁令により平城京から郷里の和泉国に帰ることを余儀なくされ、活動の拠点を和泉・河内両国に移している*4。朝廷が行基のもとで修行する老齢の者に入道を許可するに至るまで、長屋王暗殺(729年)から2年を要したことに鑑みると、725年時点で聖武の詔勅を受けて行基が日本寺を開山したと考えるのは難しい*5。即ち日本寺の由緒は行基伝説の一つであると思われるが、行基伝説が聖武と結びついているのは注目に値する。箔をつけるために行基のみならず聖武を持ち出すあたり、我々に正しい権威の利用法を示唆している。

 話を戻そう。地獄のぞきまで長蛇の列が伸びており、最後尾の整理スタッフに待ち時間を尋ねると「1時間待ち」と言われたため、先に百尺観音を観ることにした。百尺観音は1966年5月に6年の歳月を費やして完成した石像だ。直方体状に切り取られた空間が、石切の町・金谷の歴史を思わせる。発願の趣旨は、第二次世界大戦の戦死・病死・殉難者供養と東京湾周辺の交通犠牲者供養のためとの事。現在も交通安全の守り本尊として親しまれているようだ。

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 百尺観音を眺めたところで、観念して地獄のぞき(Jさんの言うValley of Hell)の待機列に並ぶことに決めた。Jさんから先程のスタッフとの会話について「彼は何と言ってたの?」と訊かれたので、1時間列に並ぶ必要があることを伝え、了承を貰った。急勾配の石段を一段ずつ牛歩で上りながら、軽妙な会話ができれば良かったのだが、それもなかなか難しく、暫くの間沈黙が続いた。仕方なしに「Facebookで友達にならない?」と彼女に打診すると快諾してくれたので、プロフィールを見ながら二三話をした。

 誰かと過ごしていると1時間はあっという間に感じるものだ。時刻は15時半。山頂展望台に近づくにつれ、肌寒くなってきた。Jさんはここまでタンクトップ姿を貫いていたので、私は「寒さに強いんだなぁ」と思っていたが、そんな彼女もとうとう上着を羽織った。山頂展望台の方からカップルが降りてきて「虫やばすぎでしょ」などと話しているのが聞こえた。私は「山頂ではたくさんの虫が君をassaultするみたいだから、呼吸しないほうがいいかも」とJさんに伝えた。

 険しい足場をよじ登って、15:42にとうとう山頂展望台に到着。確かに蚊柱のような虫の群れが飛び回っていて勘弁してほしい!

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 この写真だと、足がすくむ感じがイマイチ伝わらないのが残念。

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 Jさんと交互に記念撮影。私が彼女のスマホで彼女を撮り、彼女が私のスマホで私を撮った。※ツーショットはやんわりと断られた(まぁそうなるよね)。

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 まさに断崖絶壁。高所恐怖症の方には全くもってオススメできない。

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 山頂展望台から降りたところで、Jさんが「今日はありがとう。私もう行かなきゃ。もう付き合ってくれなくても大丈夫」と言うので、また後で連絡する旨伝えてその場で別れた。楽しいひと時であった(オチのない話)。

 その後、彼女とはMessengerで以下のようなやりとりをした。 

R: If Google's Smart Speaker translated our language immediately and correctly, we could communicate with each other more smoothly... I sometimes think like this. But our feelings, impression, instinct cannot be expressed perfectly, I believe.

(もしもグーグルのスマートスピーカーが僕等の言葉を瞬時に、正確に翻訳してくれるとしたら、僕達もっとスムーズにコミュニケーションが取れるのになぁ……そんな風に時々思うよ。でも僕等の感情、印象、直観は完全には(言葉で)表現しきれないって信じてるから)

 

J:  Well said! Thanks for your help today!

(そうね!今日は助けてくれてありがとう!)

 さて、Jさんと別れた後は、急いで鋸山日本寺の大仏を観に行った。この大仏は薬師瑠璃光如来と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現した解脱自由・世界平和・万世太平の象徴である(難しくてよく分からない)。総高30.05m、御丈21.3mと名実ともに日本最大の磨崖仏であり、現在の姿は1969年6月に4年の歳月を費やして再現されたものである*6

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 総高30.05mは、奈良東大寺の盧遮那仏(総高18.18m)より12mほど高く、大迫力に言葉を失う。表情が素朴に感じられるのもギャップがあって良い。

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 帰り道はロープウェーの最終便に間に合うように、急勾配の石段を大急ぎで駆け上ったため、心臓バクバク、脚はガクガクとなり酷い目に遭った。そのうえ、ボトルネック状態で山麓に降りるのも一苦労。ロープウェーはどこも同じだなと思った*7。下山後も内房なぎさライン(国道127号線)の東京方面が大渋滞で、ホテルに着いて一息つく頃には19時半を過ぎていた。大変疲れたが、充実したツーリングであった。

 さて、この日1日で250kmほど走行した結果、私は「礫岩のような千葉」を肌で感じた。標題にも用いたこの言葉については、次回詳述することにしたい。

Appendix

 龍宮城スパの食堂で注文した海苔そば(木更津名物らしい)。冷えた身体に温かさが染み渡った。次は海苔そばを名店で味わってみたいものだ。

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 SEROWが盗まれなくて本当に良かった。

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*1:なお、房総半島ツーリングの時点では防寒着(イージス)を持っていなかった。イージスについてはこちらを参照。

*2:伝聞で記載しているのは、他の史資料を全く参照していないためである。手前味噌感も拭えないが、さしあたり立國寺の公式サイトを参照。

*3:ちなみに、こうした行基と朝廷の関係については、東京大学入試の日本史科目で出題されたことがある(1984年第2問)。

*4:吉田靖雄『ミネルヴァ日本評伝選 行基――文殊師利菩薩の反化なり』ミネルヴァ書房、2013年、87-89頁を参照。

*5:なお、行基は725年9月に河内国で久修園院を建立する活動に従事している(同書、88頁を参照)。従って、仮に725年6月8日に日本寺を開山したのが事実なら、行基は蜻蛉返り同然で坂東諸国から河内国に戻らなければならないことになる。代理人を派遣したという考え方も論理的にはあり得るが、少なくとも吉田による評伝の略年譜には日本寺関係の記載はない(同書、249頁を参照)。

*6:原型は1783年に3年の歳月を費やして、大野甚五郎英令という名工を棟梁として彫刻完成されたが、江戸時代末期に自然の風蝕と岩石の亀裂によって崩壊し、その後荒廃にまかされていた。

*7:ちなみに、函館山ロープウェイや宮島ロープウェーを念頭に置いた感想である。