蛮族の本懐

Ne quid nimisというモットーに抗うための試み。

Wake Up, Girls! 解散に寄せて ~インティマシーの向こう側へ~

2019年 年頭の御挨拶

 皆様、明けましておめでとうございます。「平成最後」が枕詞のように連呼されたアホらしい一年が過ぎ、新年が到来しましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今度は「(新元号)最初」がバカの一つ覚えで連発されるのかもしれませんね。

 昨年の年頭の御挨拶で以下のように宣言したはいいものの、小樽旅行記についてはとうとう書き終わりませんでした。論文や報告では「捨てる」ことが重要、とはよく言われますが、ブログにおいても敢えて記事にしない、即ち「捨てる」ことが大切なのかもしれません。今年は一つ一つの記事で何を伝えたいのか、という観点も持ちながら書いていく所存です(言い訳をしましたが、執筆に着手できず、すみませんでした)。

今年も無事故・無違反で楽しいオートバイライフを送りたいと思います。そして、アマチュア歴史家として、声優/アイドルヲタクとして、面白い切り口で文章を皆様に届けられるよう、引き続き精進して参ります。ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い致します。まずは、北海道積み残し分の小樽旅行記を書き上げられるように頑張ります!

2018年 年頭の御挨拶 - 蛮族の本懐

 さて、私は2014年以来、声優ユニット(Wake Up, Girls!)ライブアイドル(NEXT少女事件)の現場ヲタクを二足の草鞋で続けてきました。しかし、2017年3月20日、NEXT少女事件が解散して名誉共犯者となった私は、主現場を移して転戦することなく、ライブアイドル現場から遠ざかりました。NEXT少女事件の解散後、友人から勧められたライブアイドルを何組か見ましたが、どうしてもステージをじっと見ていることしかできず、フロアと自分が一体になって溶けていくような熱狂を感じることはできませんでした。友人モチベでライブハウスに顔を出し、同窓会的なノリで無理に暴れても虚しいだけで、2018年1月を最後に「地下」へは全く行かなくなりました。こうして、私が通う現場はWake Up, Girls! ただ一つとなったのです。

 そんな私にとって、2018年6月15日、Wake Up, Girls! が2019年3月をもって解散するという告知がされたことは、一時代の静かな終わりを意味していました。しかしそこにあるのは、絶望や悲哀といった感情とは一寸違うものでした。現場ヲタクとしての私が終わり、新たなフェーズに入る。そこにはある種の解放の喜びも伴っていたからです。だからこそ、解散の前に、Wake Up, Girls! がきっかけで得た多くの経験に「ありがとう」の言葉を残さなければならないと思いました。今回は、谷部(id:tani-bu)の同人誌『声ヲタグランプリ』19号(2018年8月刊行)に寄稿した「Wake Up, Girls! 解散に寄せて」という文章を、ブログ向けに体裁を整えて公開します(ただし、原文には手を加えていません)。2019年1月5日から始まるWake Up, Girls! FINAL LIVE TOUR -HOME- Part 3: KADODE、そして来たる解散に向けて、気持ちの整理が難しいファンはたくさんいると思います。以下の「隙自語」が皆様の整理の一助となれば幸いです。

 今年もどうぞよろしくお願い致します。

Wake Up, Girls! 解散に寄せて ~インティマシーの向こう側へ~

 2018年6月15日、声優ユニット「Wake Up, Girls!」(以下、WUG)の解散が告知された。WUGは2019年3月をもって解散することが決定しており、現在は活動期限に向かってファイナルツアーやファンクラブイベント等を断続的に実施中だ(本稿執筆時点*1ではファイナルツアーの第一部が千穐楽を迎えたばかりである)。WUGと出逢って早4年半、彼女達は実に多くのものを私に与えてくれた。それは断じて儚い思い出では終わらない。私はWUGを追いかけることで、得難い経験を重ねることができたのだから――。

 本稿は、私の「初めて」にフォーカスして、WUGがいかに私の人生を豊かにしたかについて綴ったものである。この自分語りをもって、未来へ巣立っていくWUGへの餞別としよう。なお、本稿の主題は声優ユニットとしてのWUGであり、コンテンツと声優ユニットとの往復運動(ファンの言う「ハイパーリンク」)について触れることはしない。あらかじめご容赦いただきたい。

第一節

 まず、私が今日までWUGから「他界」せずに済んだのは、偶然というほかない。「他界」チャンス、つまり愛想を尽かす機会ならいくらでもあったのだ。しかし、私は悉く「他界」チャンスを「運命の女神」のいたずらで潰されてきた。2014年12月の「Wake Up, Girls! Festa. 2014 Winter」で幕張メッセの最前列を引き当てていなければ、「WUGちゃん売れたな、解散!」と負け惜しみを言いながらファンを辞めていたかもしれない(当時はまだJTB経由応募者の座席優遇措置はなかった)。

 2015年3月の「ソロでイベント、やらせてください!」では、本命の永野愛理ソロ公演が複数口全て落選に終わった後、奥野香耶ソロ公演と青山吉能ソロ公演はなぜか一口で当選し、わらしべ長者的に永野愛理ソロ公演の良番チケットが回ってくるというどんでん返しを経験した。このドラマがなければ、二度と永野愛理を現場で見ることはなかったかもしれない。

 2016年3月の「(NOT)可笑し、いとをかし。」(二年目の永野愛理ソロ公演)では、飽きによる「他界」という危機があった。2015年12月の『Beyond the Bottom』をもってコンテンツの展開が一段落し、その後のイベント参加は惰性によるところが大きくなっていた。しかし、永野愛理は陰陽座の「甲賀忍法帖」を歌うことで(しかも一曲目、生バンドで!)、私を繋ぎ留めたのだった。

 2016年12月のイオンモール石巻でのお渡し会だって、当日配布(心臓に悪い!)の整理券にありつけなければ、遠路はるばる石巻まで来たのはなんだったのかと、虚しさのあまりヤケを起こして「他界」してもおかしくなかった。また、詳細は割愛するが、研究や仕事の人間関係で追い詰められ、WUGどころではない時期もあった。あのまま壊れていたら、どうなっていたことだろう。 

 要するに、WUGは私にとって「腐れ縁」と評するに相応しい声優ユニットなのだ。ここまで粘り強く付き合うハメになった声優ユニットは「初めて」である。

第二節

 しかし偶然とはいえ、私がこれほど熱心に現場に通ったのは、やはり永野愛理という人間に惹かれたからであろう。永野愛理。1993年1月19日、宮城県仙台市生まれのO型、座右の銘は「我思う、故に我あり」。私は当初、某共産趣味声優や某哲学系アイドルを見るときのような不審な眼差しを彼女に向けていた。こんなプロフィールを見て、警戒するなという方が無理である。しかし、ブログを読み進めるうち、哲学専攻でラテン語講読にも参加する彼女の真摯な姿が浮き彫りとなっていき、講読前日にヒイヒイ言って予習を進める彼女に強いシンパシーを感じるに至った。

 そして極めつけは、2014年3月の仙台での握手会に参加したことだった。高一の夏休みの課題図書としてキルケゴールの『死に至る病』を読み、それから哲学に興味を持ったと話す彼女を前にして、私は信頼・安堵・尊敬の念を抱いた(ちなみに、「きっかけはニーチェ」などと言い出したらアンチになるつもりだった)。声優と「本気で勝負したい」と思ったのも、声優から「自分ももっと学ばなくては」と刺激を受けたのも、失礼ながら「初めて」のことであった。こんな思いを私に抱かせる声優は、後にも先にも永野愛理ただ一人であろう。

 こうして1991年1月19日、宮城県仙台市生まれのO型、生涯人文学徒の私は、不可思議な平行線を辿りながら、常に彼女の二年先を生きるという呪いにかかったのであった。「言いたいことはあるけれど!素直に言えないこの気持ち!お前と共には生きられない!お前なしでも生きられない!愛理と共には生きられない!愛理なしでも生きられない!Nec tecum possum vivere, nec tecum possum vivere, nec sine te!」というガチ愛口上には、窮理への愛を詰め込んだつもりだ。

第三節

 さて、ここまで一読して、「結局儚い思い出で終わっているじゃないか」と思った方も少なくないだろう。いや、ちょっと待ってほしい。文中で出した地名がほのめかすように、私は思い出を手にするために遠方まで移動しなければならなかった。この「遠征」の過程こそが、ユニットが解散してもなくならない人生経験なのだと私は言いたい。WUGは比較的多くの地域で公演を行ったため、ファンは日本全国を(人によっては海外も)巡行する必要に迫られた。私はWUGに出逢うまで、一度も「遠征」をしたことはなく、当然ながら「ツアー全通」など考えたこともなかった。それほどにインドア派だったのである。そんな私を変えていったのが、恒例行事として知られるようになったWUGの夏のツアーだった。

 2014年8月、1st TOUR「素人臭くてごめんね!」の開幕試合に参加するため、私は「初めて」大阪を訪れた。一人で東海道新幹線に乗るのも、台風で新幹線が岐阜羽島~米原間で止まるのも、一人で外泊するのも全てが「初めて」の経験だった。ライブ会場に無事に辿り着けるか、ホテルに無事チェックインできるかという不安と、見知らぬ大地と言葉に包まれているという高揚感。あの日の胸の高まりを私は生涯忘れないだろう。公演翌日も私は大阪に滞在した。梅田、心斎橋、なんば、日本橋、新世界――あてもなく大阪のキタとミナミを歩き回った。行き交う人々のイントネーションや言葉遣い、街の雰囲気、ご当地グルメ、触れるもの全てが新鮮に感じた。WUGと出逢わなければ、私は現地を視察することの意義を理解することのないまま、机上の読書で満足する人間になっていたことだろう。この点でもWUGには感謝しかない。

 私が旅行の快楽の虜になるまで、それほど時間はかからなかった。「だって」、WUGについていくだけで、行ったことのない場所で「初めて」の経験が積めるのである。以下、いくつかの「初めて」をピックアップしてみよう。

第四節

 2014年9月、「素人臭くてごめんね!」の仙台公演に参加するため、「初めて」の鈍行列車の旅に挑んだ。東北本線での移動を選んだのは節約のためではなく(廉価だけを追求するなら夜行バス一択)、「東京と仙台の距離を噛み締めたい」という思いつきからであった。敢えて被虐的な道を選ぶ私の悪癖は、鈍行列車の旅という非効率的な趣味と相性がよく、私はその一度ですっかり鉄道旅が好きになってしまった。その後も仙台公演のたびにわざわざ変なルートを使うことが恒例となり、2015年8月(2nd TOUR)はみと号+水郡線+東北新幹線、2016年8月(3rd TOUR)は東北新幹線+阿武隈急行+東北本線、2016年12月(イオンモール石巻お渡し会)は東北本線、2017年8月(4th TOUR)は新千歳空港~仙台空港+仙台空港アクセス線(注:当時は札幌長期出張中だった)という無駄な乗りつぶしを行った。移動経路自体を楽しめるだけで旅行の楽しさが段違いになるため、私は普通の旅行でも寄り道や遠回りを取り入れるようになった(本末転倒だろうか)。

 2015年8月、2nd TOUR「行ったり来たりしてごめんね!」の福岡公演は、私の「初めて」の中洲体験を生んだ。二晩続けて同じ相手を呼んだのは、あのときが最初で最後である。本当に素晴らしい夜だった。あの体験が私のタガを外してしまったらしい。中洲の夜が忘れられず、東京に戻ってきてからも色々なお店を開拓して回った。しかし当然ながら、当たるも八卦当たらぬも八卦。多くのお金を無駄にして気づいたのは、旅行先で異邦人であるという感覚が高揚感に繋がるのだという一点だった。それにしても、中洲の素晴らしさは群を抜いており、福岡遠征のメインディッシュがライブなのか中洲なのか、時々分からなくなる。これは冗談だが、熊本出身の青山吉能(暇ではない女子大生)が「優勝」というワードにハマっていたのも、他意があるのかもしれない。

 WUGをきっかけに「初めて」一人で訪れた街は、大阪や博多だけではない。三春(2015年3月、福島さくら遊学舎)、新潟(2016年7月、3rd TOUR)、沖縄(2016年8月、3rd TOUR)、盛岡(2017年3月、チャリティ・ミニコンサート)、広島(2017年9月、4th TOUR)、銚子(2017年12月、WUG Festa. 2017のついで)、いわき(2018年3月、チャリティ・ミニコンサート)――そう、私はイベント参加を口実にして、まだ見ぬ大地を訪れ、歴史や文化に触れたいという好奇心を満足させていたのだ。そして、一度涵養された好奇心は、イベントがなくなっても衰えることはなかった。

 畢竟、私にとってWUGの解散とは、私がWUGの敷いたレールから解放され、旅行先や日程を自由に選べるようになるプロセスの終着点なのかもしれない。「カオスとなったこの自由から逃げ出そう」などという陳腐な悪に唆されはしない。まだ見ぬ大地が日本中、いや世界中で私を待っている。2019年、WUGのいない四月。そこから私の人生の「新章」が「ハジマル」のだ。「僕はWUGの本当の力が知りたいんだ」という願いは、解散後のファンの様子から自ずと叶えられることだろう。私自身も残り八ヶ月の旅を目一杯楽しんだ果てに何が待っているのか、楽しみで仕方がない。私とWUGの明日はどっちだ!?

 永野愛理との「接近戦」で特に忘れられないものが二つある。一つ目は2014年9月14日の騎士接近。熊谷屋一日看板娘イベント「お菓子屋の娘がお菓子屋のお手伝いするのに理由なんてないもん」で、私は彼女に跪拝して次のように述べた。

「お初にお目にかかります、プリンセス。この『お菓子』の国、スイーツプリンセス愛理姫に拝謁申し上げるため、八時間かけて仙台の地に参上いたしました。ご機嫌麗しゅう、プリンセス。こうして仙台を訪れることができ、光栄でございます。それでは、文をしたためて参りましたので、言い残したことはこちらにて。それでは、またお会いできる日を楽しみにしておりますよ、失礼」

 永野愛理はやや引きで、「いやいや、初めてじゃないですよね」「えっ、どうしたんですか」と戸惑いを隠せない様子であったが、同年9月末のニコ生で、彼女が「中世ヨーロッパ」モノボケを炸裂させたとき、私は「成し遂げたぜ」という気持ちになっていた。それ以来、私は彼女の意識の底、無意識の中に沈み続けるファンでありたいと思うようになった。

 二つ目は2015年12月23日のロマニスト接近。HMVエソラ池袋でのお渡し会で、「Beyond the Bottom」の歌詞を巡るやりとりをした。私はルードルフ・フォン・イェーリングの「形式は自由の双子の姉妹であり、恣意の不倶戴天の敵である」という警句を引きながら、エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』を逆さに読んだだけなのではないか、という話を仕掛けた。永野愛理は激しく頷いて「本当にあの歌詞、複雑で、難しくて、私でも読み解けないの」と答えてくれた。一見対立しているように見える形式と自由が、実は「双子の姉妹」であるというイェーリングの指摘は、私がいつも立ち返る基盤なだけに、彼女とこの話題を共有できたことが嬉しくてたまらなかった。本邦では「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という警句ばかりが持て囃されているが、それは自由ではなく無形式な恣意に過ぎないのではないか、という視点は多くの場合欠けている。だからせめて、私だけでも「面倒臭い人間がここにいるぞ」と叫び声を上げていかなければならないと考えている。その実践の場が「接近戦」であったというだけの話である。

 さて、私は第三節で「ユニットが解散してもなくならない」という表現を用いた。これは語弊のある表現かもしれない。トマス・カスリスの『インティマシーあるいはインテグリティー』に基づいて考えれば、WUGとファンという二つの円が重なり合うインティミットな関係(インティマシー)において、WUGという円が消失した場合、ファンは一部が欠損した円となる。「ドラえもん、きみが帰ったら部屋ががらんとしちゃったよ。でも……、すぐになれると思う。だから……、心配するなよ、ドラえもん」というのが、インティマシー欠損の典型的表現である。同様にWUGが解散したら、ファンも胸にぽっかり穴が空いて、埋まらないまま生きていかなければならないのだろうか。ひょっとしたらそうなのかもしれない。愛別離苦はつらい。しかし、人間は同時に複数の相手とインティミットな関係に入ることができる。胸に空いた風穴が、別の相手とのインティマシーを深めるきっかけになるかもしれない、と私は考えている。この風穴の数が「人生経験」と呼ばれるものの実体の一つなのかもしれない。だから正確に表現すれば、「ユニットが解散してもなくならない」というよりは、「ユニットが解散した後に残った傷痕」と言うべきかもしれない。WUGを追いかけた時間、WUGと共に歩んだ時間は2019年3月の時限をもって、確実にファンの風穴となる。その古傷がいつまでも疼くのかどうかは、ファン一人一人に委ねられている。一時代が終わりを告げたとき、今度はインティマシーの向こう側への旅が「Start It Up,」するのではないだろうか。まさにそれは「KADODE」なのである。

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*1:2018年8月10日現在。